【第862回】 昔につながる

合気道の稽古を重ねていくに従って年も取ってくる。年は傘寿を超え、稽古も半世紀以上になった。年を取ったせいなのか、稽古を長く続けたせいかはわからないが、これまで見えなかった事が見えるようになってきた。
稽古をすれば、それまで分からなかった事がわかり、出来なかった事ができるようになり、見えなかったモノが見えるようになる。それが稽古の目的でもあるわけだから別段不思議でもないのかも知れない。
ただ、ここでいう「見えなかったモノが見えるようになる」はもう少し違った意味である。

最近、合気道の技を練って稽古をしていると亡くなっている先人とつながってくる。技や体をつかっていると、先人もこのようにつかっていただろう、先人がどのような気持ちでその技をつかっていたのかが想像できるのである。また、それが出来るようになるまで、いろいろ試み、間違いをしそして正しと試行錯誤されていたことも見えるような気がする。そしてつながった先人たちと共に稽古に励むことになる。先人に叱られないよう、先人ならここをどうするかと思いながら稽古するのである。

稽古とは、古(いにしえ)を稽(考える)ことであるというから、ここでは先輩、大先生の直弟子先生、大先生を考えることになろう。先輩、先生、大先生がどのような技をつかわれたのか、ポイントは何か、どのような考えでやられていたかなどをその立場で考えることであると思う。
勿論、先人とつながるのは容易ではない。私自身もできなかった。つながるためには、それなりの稽古が必要なようだ。先人を感じる稽古である。つながりたい先人がやったはずの稽古である。例えば、理合いの稽古。身体のカス取りの稽古、鍛錬稽古。フトマニ古事記に則った稽古等である。

先人とつながるとは昔とつながるということであるが、先人以外の昔のつながりはまだある。例えば、家族。親せき。友人・知人等である。このつながりは合気道とは直接関係ないものである。心して考えれば、家族。親せき。友人・知人等からいろいろ助けて貰ったり、教えて貰ったりしたお陰で今の自分があることが分かってくる。感謝のつながりである。

更なる昔のつながりがある。宇宙とのつながりである。138億年前の昔からのつながりである。合気道はこの昔を考える稽古であるとも言える。宇宙創造からその営み、そこから人類・万有万物が産まれ生存しているわけで、大いなる昔とのつながりである。それは宇宙が万有万物に与えてくれる愛である。合気道の理念である。
昔につながる稽古をしていきたいものである。