【第862回】 神を表に出す

最近からの論文からもわかるように、腕力から魂の力で体と技をつかうようにしている。
今回はそのために「神を表に出す」ことが必要であることを書いてみたいと思う。

まず、「神を表に出す」ことが大事であることを大先生は次のように教えておられることである。
「魄力でやってゆく国は、最後は上手くゆかない。阿吽の呼吸でやってゆくこと、あくまで魂を表に出すことである。魂の力をもって、自分を整え、日本を整え、神を表に出して神代を整え祭政一致の本様に則ることである。」(武産合気 P.103)、また、「人をつくるには、まず神と人との間に立つ伝道者の精神のふりかえをすること、伝道者はまず本様につくりなおすことである。本様とは、神を表にした、霊魂の修業である。体が上になって、霊が下になってはまずい。体を宿として、土台として、その上に霊、魂を働かすのである。霊の思うままに体が動くことである。」(武産合気 P.99)

この教えから分かる事は、魄の力に対する力が魂の力であること。神を表に出すとは魂を表に出すこと。神を表に出すとは霊魂の修行であるということ。体が土台になり、その上に霊、魂がのり、霊、魂が体を動かす。つまり、これが「神を表に出す」ということであろうと考える。

しかし、この「神を表に出す」で技をつかっても、神も魂の力も中々生まれないだろう。それではどうすればいいのかということになるわけだが、これまで分かった事を書いてみる。
「神を表に出す」とは、神を裏に出さないということである。体の裏とは人体の胸腹側であり、表とは背中腰側である。つまり、神(魂の力)は体の胸腹側の裏に出すのではなく、背中腰側の表に出さなければならないのである。これまで腹中心から出して来た力(魄力)を背中腰側の表から出すのである。裏から表へ、魄力から神、魂の力へのふりかえである。

だが、このふりかえは容易でない。これまでは腹を鍛え、腹で手足をつかい、力を出し、つかっていたのを、今度は腹ではなく別な箇所を働かせなければならないのである。
それではその別な箇所とはどこかというと仙骨である。仙骨に働いてももらうようにするのが難しいのである。尚、仙骨については「合気道の体をつくる 第859回 仙骨」に書いている。

大先生や有川先生や塩田剛三先生などの名人達人たちは「神を表に出して」技をつかっていたのが明白である。初心者は体の裏で力を出し、技をつかっている。力が出ないだけでなく、体にも良くない。
体の裏で力と技をつかうと魄の力であることがわかる。勿論、この魄力も大事であるから鍛えなければならないが、あるところで表の力にふりかえなければならないのである。表の力が神となり、魂の力になるようにするのである。
大先生が、これまでの武道と合気道は違うといわれた事の一つにこれがあるのではないかと思う。魄の武術・武道と魂・神の武道である。