【第857回】 天が動かなければ地動かず

錬磨する合気の技は、天の気によって天の呼吸と地の呼吸を合わせて生み出す。そして天の呼吸との交流なくして地動かずと教えられている。つまり、天と地に働いてもらわなければならないが、まずは天に働いてもらわなければならないということである。
これまで『天地人和合の理』(合気道の思想と技 第857)などで布斗麻邇御霊とアオウエイで天と地を結んで技をつかえばいいと書いたが、天から動かさなければならないという事である。

天が動かなければ地が動かないことは、布斗麻邇御霊とアオウエイでもある程度わかるが、他のことでもわかる。例えば、人は横になっていては仕事ができない。先ずは天に向かって立た(動か)なければならない。立ったら仕事ができる。天が動かなければ地動かずである。
また、高齢者が足取りがおぼつかなくよたよた歩くのは、天が十分動かないからである。天と結び、天に働いてもらえばいいと思っている。

次に技に関してである。前述の天と地を結んで、うぶすの社の構えの天の浮橋に立つためには、まず天に働いてもらい、次に地にはたらいてもらわなければならないと書いたが、もうひとつ具体的なことがわかった。それは手のつかい方である。手もまず天に働いてもらわないと地が働いてくれないのである。

合気道の技は手で掛けるので手は大事である。手が大事と云うのには二つの意味がある。一つは手と云うモノとしてと、二つ目は手の働きである。つまり、手を手として鍛えることと機能することが大事なのである。そのために、手を鍛えなければならないが、これは何度も書いているので省略するが、一言で云えば、息で縦横十字に鍛えるのである。
次にどのように働いてもらうかと云う事である。それが、天が働かなければ地が働かないということに関係するのである。

手は手の平を縦にすると上部が橈骨側、下部が尺骨側になる。上部の橈骨側が天、下部の尺骨側が地となる。つまり手にも天と地があるのである。
合気道の手は剣であるから、手の上側は峰、下側は刃ということになる。手は相手に対して刃筋が通るようにつかわなければならないとこれまで書いてきた。そうしないと技が効かないからである。これまでの稽古から、この法は正しいといえるようだ。これも手の働き、つかい方の一つである。

さて、今回の本題に入る。手を天から動かして地を動かすである。最初に峰を動かして刃をつかうということである。このやり方は『手に芯棒をつくる』(合気道の体をつくる 第856回)で書いた通りであるので詳細は省く。
親指を上手くつかって峰(手の上部)に気と力を集めて芯棒をつくるのである。これが天であり、この天が働くと地の刃(手の下部)が働くようにするのである。片手取り呼吸法、諸手取呼吸法はこれでやらないと大きな力は出ない。また、正面打ち一教の手を捌くのもこれでやらなければ、相手の強い力での打ちを捌くことはできない。

更に親指と他の指を見ると、親指は天、他の指は地となる。よって、指もまず天の親指に働いてもらわなければならない事になる。親指の働きの大事さが最もよく分かるものは座技呼吸法である。

手の親指と手の峰が働らかなければ手も指も十分に働く事ができないが、更なる問題は、大事な事を得られないことである。その一つは、魂がのるべく魄の土台ができないことである。魄の力で満ちた土台ができないのである。
もう一つは、技が効かないだけでなく、魄の土台の上にくる魂が生み出されないことである。

これらの問題解決のためにも、天を動かしてから地を動かすようにしなければならないのである。