【第856回】 魄を脱する技づかいのためには

合気道は魂の学びであると教わっているので、魂の技づかいをすべく悪戦苦闘しているが、少しずつ前に進んでいるように感じている。つまり、これまで分からなかったことが幾つか分かってきた事である。
まず、魄についてである。魄力はそれほど大きな力ではないし、それでやっていくと体を壊すし、技も上達しないなどといわれるので、魄の力は悪いもので避けるべきだとしてきたことだ。しかし、これは大きな間違いであることが分かった。魄力とは、体力、腕力等の肉体的な力であるが、これも非常に大事なのである。魂の稽古に入っていくとそれは自覚出来るようになる。魄力は気や魂を生み出す土台になるからである。まずはしっかりした土台をつくらなければならないから、魄力を身に着けなければならないのである。 魄が悪いと思い、魄力を身に着けず、力を抜いた稽古だけをしていると土台ができす、魂も働いてくれないことになるのである。

魄を脱する技づかいのためには、次のように体、息、気をつかわなければならないとわかった:

これまでは手の下側(刃)に力をいれて技を掛けていたので、手の力で相手の力を抑えていたため、大きな力が出なかっただけでなく、相手に不快感を与え、その結果、争いにもなったわけである。これが魄の稽古である。
手の上側(峰)に気と力が集まると、手に接した箇所に己の全体重を随時掛ける事ができるようになる。この相手と密着しこちらの体の重さが掛かった状態で、手の力(腕力)をつかわずに気や念で相手を導き、技を掛けるのである。これが魄を土台、下、裏に魂を表にということである。

これが「魄を脱する技づかいのためには」のこれまでの成果である。