【第856回】 無限の力が湧いてくる

“気“というモノがわかってくると、合気道がますます面白くなってくる。これまで腕力に頼っていた技づかいが、気でやるようになり、技が上手く決まるようになり、自分自身だけでなく相手も納得するようになった。そして合気道の技は、大先生が云われるように、宇宙の営みを形にした、宇宙の法則に則ったものであることを感得するし、また、「宇宙と人体とは同じものである」(武産合気P.68)ことも実感してくる。

“気”に関してはこれまで書いてきているが、その幾つかを思い出してみると次のようになる。
まず、気(の力)と腕力(肉体的な力)の違いである。気で相手に接すると相手をくっつけてしまう。気には引力があるということである。因みに、腕力は弾いてしまう。また、相手と接した処に己の体の力(重さ)を随意に掛ける事ができるようになる。指一本でも相手を抑えることができるようになる。腕力の場合は、腕の力しか掛からない。
次に、気の出し方、働かせ方である。魄を土台にし、その上(表)に気を出すのである。大事なのは、土台がしっかりしていることである。魄の稽古をしっかりして体を鍛え、力をつけておかなければならないのである。手は名刀のように折れ曲がらず柔軟になるよう鍛えるのである。折れ曲がったような手では気は出ない。

気をつかって技と体を練っていくと、合気道をやっていると実感するようになる。これまでも合気道はやっているとは思っていたが、何か違うし、何かが欠けているように思っていた。それが変わったのである。
以前は、肉体的な力(魄の力)で技をつかっていたわけだが、これは現在の物質文明のやり方であり、俗世に迎合するやり方であった。合気道では経済(物質文明)・物が土台になり、その上に精神文明・心が働くようにしなければならないと教えられている。故に、これまでの肉体的な稽古だけでは不十分で満足できなかったわけである。

気をつかって技をつかっていくと、腕力と同じように、気も鍛えなければならないと思うようになる。諸手取呼吸法などではいつもそう思う。多少、自分が力をつけても、稽古仲間の相手も力をつけてくるから、気の鍛えを怠れば力で抑えられてしまう事になる。
そこでどうすれば大きな力、強力な力が生じるようになるかということになる。腕力を鍛えるのはそう難しくない。誰もが容易にやっている。人の本能なのだろう。しかし、気はそうはいかない。

それも、大先生の教えの中にある。その教えは、「合気は十分気を知らねばならない。武の気はことごとく渦巻きの中に入ったら無限の力が湧いてくる」(合気神髄p88)である。
要は、技を掛ける際に、気で渦巻きをつくれば無限の力が湧くということである。渦巻きは台風の目を考えればいいだろう。気で体(手、足、腰腹)を渦巻き状につかうのである。つまり陰陽、水火、十字に息と体をつかうのである。諸手取呼吸法もこれでやると大きな力が出る。太刀を持って相手を切るつもりでやると分かり易い。
尚、無限の力とは、超大な力ということではなく、限りなく大きくなっていく力ということであろう。魄の力には限界があるのに対し、限界のない力、どんどん大きくなる無限の力ということである。

渦巻きの台風の目
はじめは小さな力しか出なくとも、気で渦巻きをつくって技をつかって行けば無限の力が湧いてくるはずである。先が楽しみになる。合気道の更なる奥深さが分かるのが楽しみなのである。