【第855回】 息づかいが健康の基であり、技の基本

自分が多少、息がつかえるようになってくると、まわりの稽古人や一般人の息づかいが気になってくる。他人のことなので関わりたくはないと思うのだが、見ると気になってしまうのだ。これでは技が効かないし、体に悪いだろうにとか、こうした方がいいのになどと思ってしまうのである。
稽古でもそうだが、息づかいは大事であるが、難しい。その理由は、具体的に息づかいを誰も教えてくれないからだと思う。これまで長年合気道の修業をしてきたが、息づかいは教わらなかった。合気道では、息づかいは技を掛け、受けを取り合いながら身につけることになっており、息をどのようにつかうのかの体系だった教えを受けなかった。
しかし、合気道には息づかいの教えがあるのである。合気道の創始者がその教えも残しておられるのである。問題は、その教えは超難解であることであり、頭で理解も難しければ、技づかいに活かすことも難しいのである。
故に、大体はその息づかいの教えに挑戦せずに、諦めてしまうのである。更なる問題は、息づかいの重要性を無視してしまっていることである。

息づかいは難しいが、一つ一つやるべき事をやって積み重ねていけばそれにたどり着けるはずである。これまでの修行から、息づかいには三段階あると気づいた。一つはイクムスビの息づかい(呼吸)、二つ目はフトマニ古事記の息づかい(呼吸)、三つ目は阿吽の呼吸である。魄の稽古の息づかいはイクムスビであり、魂の稽古はフトマニ古事記(布斗麻邇御霊とアオウエイ)であり、最終的には阿吽の呼吸になると考える。
先ずは、イクムスビの息づかいで体と技をつかえばいいだろう。イーと息を吐いて手を縦に伸ばし、クーと息を引いて手を横に拡げ、ムーでその手を縦に更に伸ばすのである。慣れてきたら、手首、肘、肩を支点としてこのイクムスビでこれらの部位を鍛えるのである。同じように、足も鍛える事が出来る。足首、膝、大腿骨(頸部)を同じように意識して鍛えるのである。

イクムスビをつかえるようになれば、体もしっかりしてくるし、それまで以上の力が出るようになるし、技も合気道らしくなってくる。しかし、或る処まで行くと上手くいかなくなるはずである。イクムスビの限界である。魄から脱出して、魂の次元の修行に入らなければならないということである。イクムスビの息づかいは、主に縦の息づかいで、魄の力なのでそれほど大きな力は出ない。片手取りや諸手取呼吸法でやってみると分かる。しかしこれは次のフトマニ古事記がある程度身につかなければ比べようもないので分からないだろう。また、フトマニ古事記が身に着けば、イクムスビの息づかいでもフトマニ古事記なみの力が出るようになるようだ。

イクムスビやフトマニ古事記の息づかいがつかえるようになったならば、稽古での技の実践を通して更に息づかいを身につければいい。そうすれば息の働きの重要性が実感できるようになるし、技も体も出来て来るはずである。
息の縦の十字、横の十字で手や足とその各部位を鍛えるのである。息と息でしっかりする体でいい技が生まれることになるわけである。

道場外でも息づかいが気になる。特に、高齢者である。足が地に着かずに歩いている姿を見るとハラハラするとともに、息づかいに注意すればいいのにとお節介になる。高齢者も息づかいに注意するといい、意識して息で体を元気にするといいと思うのである。
歩くのが健康にいいことは誰でも分かっている。歩けば血行が良くなり、筋肉が働き、血も筋肉も活性化するからである。これは誰でも自覚できるからやっている人は多い。一般の人(ここでは合気道を稽古していない人)はここまでは分かるが、何故、血行が良くなるのかまではよく分からないだろう。宇宙・天地の営みと同じ動きをすることが自然であり、健康であり、武道的には、技が効くということになるということなのである。「地球修理固成は気の仕組みである。息陰陽水火の結びである」し、他人の「一挙一動ことごとく水火の仕組みである」と、水火の結びの動きなのである。
「一挙一動ことごとく水火の仕組みである」とは、足が地に着く際は息をはき(これが水)、足が縦に地に下り、その足が上がる際は息を入れ、その足は横に拡がる(これが火)。この繰り返しで歩いている。つまり、水火の仕組みで歩いているのである。
また、手も同じである。合気道の技をつかう際は、この水火の息づかいをつかわなければいい技が生まれないので気がつくが、一般人は気がつきにくいだろう。しかし、よく観察すれば気づくはずである。手も息を吐いて、息を吸う(引く、入れる)と水火で働いているのである。稽古の場合は意識して水火の息づかいで技と体をつかうのでそれが分かり易いが、日常では気づかないものである。しかし、意識して手の働きを観察してみると水火で動いている事がわかる。そしてその水火の動きは心臓の動きから来ている事がわかる。つまり、心臓も水火の仕組みで働いていることになるわけである。「一挙一動ことごとく水火の仕組みである」なのである。

結論は、息づかいが健康の基であり、技の基本であるということである。