【第854回】 魄に陥らないために

相対で技の錬磨をしながら合気道を精進しているが、なかなか思うように進展しない。半世紀以上稽古をしているので、ほとんどの相手は後輩になるし、中には私が稽古を始めた頃にはまだ生まれていなかった人も結構いる。
最近は年を取ったこともあるが、肉体的な力に頼らない技づかいに努めているが、これがまた難しい。しかし、大先生は肉体的な力ではなく、宇宙の力、つまり、魄ではなく魂をつかわなければならないと教えておられるので、魂の力が出るように努めている。

魂というものが少しずつ分かりかけてきてはいるが、まだまだ技につかえる状態ではない。そこでこれまでの肉体的な力(腕力、体力)に代わる力を見つけ、つかうようにしている。例えば、これまで書いてきたように、息であり、気であり、そして理に合った体づかいである。
合気道は武道であるから、力が変わったから弱くなったのでは意味がない。力が変わった事によって、更に強力にならなければならない。勿論、力が変わる当初は、一時的には弱くなるが、これはしょうがないし、故に一時弱くなる覚悟がいる。因みに、この一時弱くなる覚悟が持てないために、変えることをためらう稽古人が多いように思う。

機会がある度に呼吸法、特に片手取呼吸法を稽古しているが、「魄に陥らないために」、今どのような技づかい、体づかいをしているか記す。
これまでは、手と腹を結び、腹の力を手でつかう。その手を腹と足の陰陽十字でつかう。体と技を息でつかう。つまり、息で体と技を導く。布斗麻邇御霊の息と気で体と技をつかう。気で体と技をつかう。つまり、気で息と体と技をつかう等であった。

さて、最新の技づかい、体づかいである。簡単に言えば、相手と接している手に己の体重がかかるようすることである。しかも、全体重が掛かるのだが掛けないのである。この重い手で技を掛けると、相手をくっつけてしまい、相手の反抗心を無くし、こちらと一体となり、こちらの思うように相手を導く事ができるのである。これは気の働きであると考えている。

このためには体のつかい方が重要である。これを間違えれば、魄の力になり、技にならないのである。
片手取呼吸法で手を出して相手に掴ませるが、只、手を出して、その掴まれた手を動かせば、それは肉体的な魄の力である。この手の状態は、手の下側(橈骨側)に力が働いている。剣であれば刃に力が掛かるということである。勿論、これでも切れるし、技にもなるし、またこれも必要で身に着けなければならない。しかし、これは魄の次元なのである。手の力、腕力なのである。
この魄の次元を脱却するためには、手をこの逆につかう事である。手の峰側(橈骨部)が指先から肩、更に胸鎖関節まで一本の強力な芯棒となり、この芯棒を体(支点)として、手の下部を用としてつかうのである。ここが一本の強力な芯棒になるためには親指の働きが大事である。親指が延び、張ることによってこの芯棒が強力になるし、他の指が働き、この手の芯棒が切れることなく手が十字十字に働くのである。極端に言えば、親指で技をつかうということである。

この手の上部に強力な芯棒ができると、その手を相手が持つと、別に体重を掛けようと思わなくても、こちらの体重が掛かり、また、くっついてしまうのである。腹の力がいつでも手に掛かるようになるのである。呼吸法だけではなく、正面打ちで打ってくる手に対しても同じで有効であるようなので、これは法則といえよう。