【第854回】 宇宙・万有万物に学ぶ
合気道を修業する者は、宇宙・万有万物に学ばなければならないと大先生は教えておられる。『武産合気』『合気神髄』を読んでいると、この「宇宙・万有万物に学ばなければならない」が何度も出て来るので、合気道の修業にとっては重要であるはずである。その幾つかの大先生の教えは次の通りである。
- 「合気道に進まんとする者は、宇宙の真象(真の姿、真理)をよく眺め、己に取り入れ、それを土台にして、己の門を開いていかなければならない。(合気神髄P.13)
- 「天地の真象を眺めて、そして学んでいく。そして悟ったり、反省したり、学んだりを繰り返していかなければいけない。要するに武道を修行する者は、宇宙の真象を腹中に胎蔵してしまうことが大切で、世界の動きをみてそれから何かを悟り、また書物をみて自分に技として受け入れる。ことごとくみな無駄に見過ごさないようにしなければいけない。すなわち山川草木ひとつとして師とならないものはないのである。」
- 「合気道を修行する者は、また万有万神の条理を、武道に還元することが大切なこととなってくるのである。それは万有万神の条理から来る真象を眺めることである。真象を通して合気道の技は、合気の原理を通して創造することが可能であるから、どんな微妙なる宇宙の変化にも、よく注意していなければいけない。」(合気神髄 p.38)
- 「私が合気道修行者に望むことは、どういうことかというと、この世界のありさまを終始よく眺め、また人々の話をよくきいて、良きところを自分のものに取り入れ、それを土台に、自分の門をひらいていかなければならない。例えば、天地の真象をよく見て、自らこの真象によって悟る。悟ったらすぐに行う、行ったらすぐ反省し、という具合に順序をたてて、悟っては、反省し、行っては反省するというようにして、だんだん向上していただきたい。」(合気神髄 P.164)
しかし、天地や万有万物が師であり、この師から学ばなければならないとは頭で分かっているが、具体的に何からどう学ぶのかが分からなかった。
最近、親指の重要な働きがわかり、その親指の働きが身についてきたのだが、禊をしている目前の木の枝の姿に目が止まった。そして親指と他の指との関係は木の枝と一緒ではないかと感得したのである。
親指を支点(体)として小指側を用として返しながら手をつかうが、これだけだと、例えば、諸手取呼吸法で相手がしっかりした手で抑えてくると、掴ませた己の手は中々上がらないものである。相手の抑える力と己の上げようとする力がぶつかるからである。
ここで木の枝に目が止まった。木は手のように親指(枝)と他の指(幹、主枝)な形をしているが、もう一つ、枝は枝先、幹も幹の先に伸び続けていることである。決して止まってしまうこともないし、後退することもないのである。そこでこれを手につかってみることになる。親指も他の手先も先端に伸び続けるようにしたのである。これで力のぶつかり合いは改善され、それまで以上の強い力が出るようになったようである。
この親指を意識した稽古をしていると、手にも体と用があり、これを間違えてつかうといい技にならない。体とは中心であり支点であるから、初めに動かさない箇所であり、用は働く箇所である。手の親指、橈骨側(上)が体、小指側、尺骨側(下)が用となる。手の上側・橈骨側が体でしっかりしなければならないが、そのために親指にしっかり働いてもらわなければならないことになるのである。
かって、有川定輝先生は、手の平や指を開く(気を入れる)際、手の平に力を込め、手の甲に力を込めて駄目だと言われていた意味がこれでわかった。手の平に力を込めれば、手の上部が体として働くし、手の甲に力を入れれば手の下部(橈骨部)が体になってしまうからである
木は幹だけでも一本の枝でも生きられない。枝があってそのもとの幹や枝を成長させることができる。手も親指が働くことによって手が真っすぐ、力強く働く事ができるのである。親指を開かずに、他の指と一緒に手をつかえば、力が抜けた、ぶれた手になる。
木さんのお蔭である。技が上達したと思うが、宇宙・万有万物の一つから学ぶ事ができたことがとりわけ嬉しい。これからますます、宇宙・万有万物から学ばせてもらおうと思っている。
合気道での技と体のつかい方は、宇宙・万有万物から学ばなければならないと確信することになった。
Sasaki Aikido Institute © 2006-
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