【第851回】 応用技が出るように

技を練って精進している。宇宙の運化を感じ、それと一体化して技と体をつかうべく修練している。宇宙の営みや宇宙の法則はこのようなものであろうと思い、技と体をつかうようにしてくると、これでいいのか、これは正しいのか疑問を持つようになる。たとえ相対稽古の相手が倒れても、正しい技づかいで倒れたのか、それともしょうがないから倒れてくれたのか等判断が難しいものである。合気道には試合や勝ち負けの制度や思想はないので、その判断基準はない。ただ、昇級や昇段制度はあるが、初心者ならそれに頼れるだろうが、我々のような古株になるとそれに頼ることもできない。故に、いい悪いは自分の判断によるしかなくなる。

そこで技の良し悪しの自分自身の判断基準を考えてみることにする。
まずは、自分が掛けた技に満足するかどうかである。普通は心や頭で判断するのだろうが、私は体が満足するかどうかで判断するようにしている。体が真の判断をしてくれるのである。体にも心や意志があるように感じている。
体が満足してこの技づかいはよかったと思う時、相対稽古の受けの相手も大体はその技に納得するようである。
また、体全体がその各々の部位の役割を果たし、そして各部位が統合して働いてくれればいい技であると感得する。体中が気で満ち、気が流れ、技が出て来る。

次に、技を練っていると、必ず上手くいかず、問題が起こる。そして一つの問題が解決すると次の問題が現われるが、何かがその問題の解決に導いてくれる。自分以外の何かである。つまり、問題が出てきて、何ものかの問題解決の助けが続く限り、その技や稽古法は間違いないと信じていいと考える。

いい技になると足や手が居つくことはなく、次の動作に結びつく。体が動くということであり、体が動く技はいい技といいことになり、いい技の判断基準である。体を捩じらずに陰陽でつかえば、足は自然と出るし、手も働くのである。

最後にもう一ついい技の定義を記す。
一つの技から応用技が自由にできれば、その技は間違いなくいい技である。過って、有川定輝先生は或る講習会で、基本技である正面打ち一教から様々な応用技を示して下さった。下記の写真はその内の二つの正面打ち一教からの応用技である。(このほかまだ2,3の応用技を見せて下さったがいい写真がないので掲載できないのが残念である。) 

有川先生の一教は芸術的であり、無駄なく、美しい上に隙が無く磐石であったが、応用技もまた素晴らしかった。
先生は、これらの応用技が出るようになるためには、正面打ち一教をしっかりやらなければならないと、手刀のつかい方、手の親指と手の平のつかい方、掌底のつかい方等などを教えて下さった。つまり、基本技がしっかりできれば応用技ができるようになるということであり、応用技ができればその基本の技はいいということになり、判断基準になるということである。
故に、応用技が出るようになるかどうかもいい技かどうかの判断基準になると考える。