【第850回】 新たな道を

傘寿を過ぎていろいろ分かってきたことがある。若い頃には分からなかったり、想像もしなかったことである。
最近つくづく考えさせられる事は、高齢者の生き方はそれまでの若い時のものと違わなければならないということである。それまでの生き方ではなく、新たな生き方をした方がいいということである。つまり、それまでの延長上で生き続けるのではなく、新たな線(道)上で生きるという事である。

合気道の修業においても、若い頃の稽古を続けていても精進しないし、体を壊してしまうので、新たな稽古に変えていかなければならない。
若い時の稽古法は体力勝負であり、がむしゃら稽古であったと思う。高齢になれば、このような稽古は出来なくなってくるし、何かおかしいと思うようになる。そして理に合った技づかい、体づかいの稽古をするようになる。若い頃のがむしゃら、体力勝負の稽古とは、理の稽古ではなかったわけである。このような若い頃の稽古を魄の稽古、物質文明の稽古という。
年を取ってきたら理に合った稽古、理合いの稽古をしなければならない。何の理に合わせるかと云うと、宇宙の条理、宇宙の法則である。それでどうなるかというと、宇宙を取り入れて宇宙と一体化して宇宙人になることである。

高齢者の生き方も、この合気道と同じように変えなければならないし、変えざるを得なくなる。これまでの延長上ではやっていけないのである。その最適な例が体力の衰えである。特に、足腰の衰えは予想以上である。若い頃は、合気道の稽古をしていれば、足腰に問題はなかったが、年を取ってくると、合気道の稽古を多少やっているぐらいではどんどん衰えるのである。衰える速度にまけないように足腰の筋肉を鍛えなければ衰えてしまうという事である。従って、年を取って着たら、意識して足腰を鍛えるようにしなければならないのである。高齢になれば、毎日、道場に通う事は不可能だから、道場外で鍛えることになる。体力、気力は衰えているわけだから、若い頃のように、山登りをしたり、走ったりすることは難しい。毎日出来る手軽で無理なく出来るものでなければならない。例えば、歩く事、駅の階段をつかう事、電車は座らず立つ事などである。

体、足腰のために新たな生き方をしなければならなくなるが、衣食住も新たな道を歩むようになるはずである。
高齢者になったら、新たな人生を送るつもりになればいい。着るものも自分に合ったもの、自分の個性がでるもの等、他人や周りをあまり気にせず、着ることを楽しむ事である。若い頃のように、会社や他人を気にする必要もないし、時間に追われることもない。和服など手間と時間が掛かるが、それも楽しむようにしている。
食事もそれまでのものを改めなければならない。まず、高齢になったら、食事をしっかりとることである。一日3食でも2食でも、決めたらそれを実行することである。若い頃は、一食や二食抜いても問題なかったが、年と取ってきたら欠かしてはならない。食は体をつくり、元気にする原動力であることが年をとると分かってくる。そして食事構成も大事である。バランスが取れている事である。特に、たんぱく質とビタミンを取るようにしている。慣れてくると、食事構成にはあまり気をつかわなくなる。食べたいと思うモノを食べればいいと思うからである。体がこれを食べたい、あれを食べたいと教えてくれるからである。そのためには健康でなければならない。体調が悪ければ、誤った判断をするからである。
更に、私の場合、塩分の濃いモノは食べられなくなり、また、アルコールの飲み物は飲めなくなった。これは若い頃には予想もしなかった。

私の場合は住も変わった。若い頃は、会社の近くに部屋を借りて住んでいたが、仕事をやめて東京の外れの田舎に引っ越した。勿論、道場に通える所である。

高齢になって、若い頃とは違った新しい生活をしている。新しい道を歩いていると実感している。これまで歩んで来た道とは明らかに違う道を進んで、そして楽しんでいるようだ。若い頃の道と高齢者の道の二本の道を体験できるのである。若い時の道は十分楽しんだと思う。高齢者の道も楽しみたいものである。