【第850回】 息水火の結びで

合気道は相対稽古で技を掛け合いながら精進しているが、稽古を長く続けていくに従い、容易でない事がわかってくる。それまではやってきたスポーツよりも容易であり、こんなものかと物足りなさがあったほどである。
しかし、人は宇宙の擬体身魂であり、合気道は宇宙との一体化であるなどということがわかってくると、合気道がほとんど分かっていなかった事を痛感するようになる。
例えば、息づかいである。相手が攻撃してくるのを手でさばくわけだが、その時、息は吐くのか、それとも引く(吸う)のかの確信がもてないでいた。息を引き乍ら手を出したり、息を吐きながら手を出して相手の攻撃の手を制してみるのだが、これはという結論が出ていなかったのである。
確信するためには法則を見つけ、身につけなければならないわけだがそれがなかったわけである。

この息づかいに迷い、この問題と戦っていると、またまた救世主が現われた。大先生の教えである。その救世主は、「昔は、兵法に畳の上で道により、天地の息をもって相手の距離を“水の位”とし、それを彼我の体的霊的の距離のなかにおいて相対す。相手火をもってきたら、水をもって対す。相手を打ちこませると誘ったときは、水が終始自分の肉身を囲んで水とともに動くのである。すなわち相手が打ってくれば、水とともに開くから打ち込まれない。すべて打ち込まれるにも、この真理と合した呼吸で行われなければならない。」(合気神髄P.97)である。
つまり、相手は火の呼吸で攻撃してくるから、その攻撃を水の呼吸で対処するということである。火の呼吸とは息を引く呼吸で、━(横)であり布斗麻邇御霊の□である。この攻撃に対して、水の呼吸は息を吐く呼吸の|(縦)と○で対処するわけである。攻撃してくる相手に対して息を吐きながら(出しながら)手を出していくのである。正面打ち一教でも剣捌きでもこれでやればいいわけである。これは正しく、法則であることを確認する。確かに、息を引いて相手の強い攻撃を受ければやられてしまう。また、慣れてくれば、息の水火を気の水火に代えて技をつかうことができるようになるはずである。

この息の水火の法則は、合気道の技だけに当てはまるのではなく、宇宙の法則であるのである。大先生は、「一挙一動ことごとく水火の仕組みである。いまや全大宇宙は水火の凝結せるものである。みな水火の動きで生成化々大金剛力をいただいて水火の仕組みとなっている。」(合気神髄 P.141)と言われているように、人の一挙一動ことごとく水火の仕組みであり、また、全大宇宙は水火の凝結せるものであり、そして万有万物が水火の仕組みとなっているということである。確かに、人の心臓も腿も縦横の水火の仕組みで働いているし、「タカアマハラにカミ火水つまります・・」とあるように、宇宙は水火がつまり、そして水火が働いていると思える。

これで合気道の技は水火の結びと水火の仕組みでつかっていかなければならないことがわかった次第である。