【第849回】 空の気と真空の気で技を

一つの事が分かると、次の事がわかり、また、場合によっては、これまで分からず悩んでいた事が氷解することがある。
今回はこれを体験したのでそれを記すことにする。

体に気を満たし、気でパンパンにした体で技をつかうと、これまでになく上手くいく事がわかった事である。体を気でパンパンに満たすことによって、体が捻じれずに面としてつかえ、手と足にも気が満ち、手は折れ曲がらず、故に、腹の力は手先に流れ強力な力が出ることになる。正面打ち一教もこれでやれば大分上手くいく。
これまで如何に貧弱な体、薄っぺらい体で技をつかおうとしていたのか恥じ入るばかりである。

このことによって分かったことがある。それはこれまでどうしてもわからなかった大先生の次の教えである。
「真空の気と、空の気を性と技とに結び合いて、練磨し技の上に科学しながら、神変万化の技を生みだすのであります。」
とりわけ、体を気で満たすことによって“空の気”がこれであると実感したことである。そしてこれが空の気であると確信したのは、大先生が「空の気は物である。それがあるから五体は崩れずに保っている。空の気は重い力をもっている。また、本体は物の気で働く。空の気は引力を与える縄。」と言われているからである。特に、それがあるから五体は崩れずに保っている。つまり、空の気があるから五体は崩れずに保っているということだから、体が気で満ちていて崩れなかったのは空の気だということになるわけである。
また、これまでこの気は重い力を持ち、相手をくっつけてしまう引力を持っていることも分かっているので、これが空の気であることに間違いないだろうと思ったわけである。

「これ(空の気)を解脱して真空の気に結べば技がでる。」わけだが、次に空の気が結ばなければならない真空の気とは何かということになる。
大先生は、「真空の気は宇宙に充満しています。これは宇宙の万物を生み出す根源であります。」また、「呼吸し、息吹きして真空の気を吸い、大地の気、森羅万象の気を性と技とにむすびつけて、錬磨し技を生み出して錬磨してできる技が、天地の理に沿うみそぎとなって、祓戸ノ四柱の大神の如く、妙なる荒きみそぎとなって、丁度四季の変遷のみそぎの如くなっているのです」とあるから、真空の気とは、宇宙に充満している気、大地の気、森羅万象の気であるとする。
空の気を解脱して真空の気に結ぶはその体験がある。高校時代にハイジャンプ(走り高跳び)をやっていたが、高く跳びあがるためには重い空の気を解き放ち、天に飛び上がらなければならないが、これがまさしく、空の気を解脱して真空の気に結ぶと実感する。また、鳥ガ飛び上がるのも、空の気を解脱して真空の気に結ぶからであると見る。

次に「真空の気と、空の気を性と技とに結び合い」とある性と技である。技は一教や四方投げなどであるから問題ないだろう。只、大事な事は、合気道のすべての技で真空の気と空の気に結び合わなければならないということである。一教や四方投げ等だけでなく、呼吸法でも、合気剣でも真空の気と空の気でやらなければならない。
問題は“性”である。
大先生は、性を、「玉の緒(命、生命)がすでに起こりて心となり、声と鳴り出て色に現れれば象つくりて、眼に入り身に入る由縁の道筋に染みつきおる物を、と言い」(合気神髄 P.73)と言われているが、残念ながらこの性がよく分からない。仕方がないので、今のところ、一般的な解釈で「生まれたまま持っている心やもの」とする。「もの」とは、性質、性分である。

そして、技の上に科学するであるが、これを大先生は次のように教えておられる。
「以前、神通千変万化の技を生み出す、ということは真空の気と空の気を、性と技とに結び合ってくり入れながら、技の上に科学すると申し上げたことがあります。これは皇祖皇宗のご遺訓たるところのフトマニ古事記によって、技を生み出していかなければなりません。(武産合気 p.77)」
つまり、技の上に科学するとは、フトマニ古事記によって、技を生み出していかなければならないということである。布斗麻邇御霊の営みに則って技をつかっていくのである。

空の気がわかったことによって、「真空の気と、空の気を性と技とに結び合いて、練磨し技の上に科学しながら、神変万化の技を生みだすのであります。」の問題がようやく氷解したのである。
更に、空の気が分かった事によって、造化の三神である、天御中主神・高皇産霊神・神皇産霊神の働きと、その技・体づかいが分かってきたのであるが、これは別の回にする。