【第848回】 生まれ変わるつもりで

傘寿(八十才)になってからいろいろ変わった。それまでの若い頃とくらべて変わったということである。量的な変化と質的な変化、肉体的な変化と精神的な変化、衣食住の生き方の変化、そして合気道における変化等である。
量的変化とは、例えば、持久力や食欲は減少するが、忍耐力や許容力は増大しているようだし、肉体的変化では体力の減退があるものの、無理なく理合いで体をつかうようになる。精神的な変化としては、それまでの粗暴な気や競争心は薄れ、和と理を重んじるようになったと思う。
また、生活、生き方も変わってきた。時間、日々を大事にするようになった。自分が少しでも変わるよう時間、日々を大事にするようになった。その為には健康を保たなければならないので、飲食や睡眠、それに運動を大事にするようになった。若い頃は、このような事を気にもしないでやってきたわけである。

ある程度の高齢になったら人は変わらなければならないと思う。若い頃の生き方をそのまま踏襲するのは不自然だし、不可能だと思うからである。若い頃の肉体的な元気、強い競争力、物欲、金拝主義などの物質文明ではなく、心がそれらの上にきて導く精神文明で生きるようにするのがいいはずである。これは合気道の教えからのものである。
これを証明し、人を納得させるには私はまだ初心者の高齢者なので、まだできないが、合気道の世界ではその正しい事を証明できる。

合気道では、稽古を続けて行くと、或るところからそれまでの稽古のやり方を変えなければならなくなる。これを魄の稽古から魂の学びにかえるという。若くて元気な肉体的な技づかいの稽古、目に見える顕界の稽古から目に見えない息や気や魂の幽界の次元の稽古にかえるのである。もし稽古のやり方を変えなければ、更なる上達は難しくなるだけでなく、体を壊すことになるのである。これは合気道を創られた植芝盛平開祖が言われているので間違いない。勿論、これを己自身でも実感している。

この教えや先生・先輩たちのお蔭でようやく合気道の稽古が変わってくるわけだが、合気道が変わるにつれて普段の生活も変わってくることになった。はじめはこれを不思議だと思ったが、よく考えてみれば不思議でもなんでもない。同じ人間が合気道をやり生活しているわけだからである。
しかしながら、一般的に、変わる事は難しいかもしれない。それは合気道の世界を見ていれば分かる。魄の稽古からの脱出は本当に難しいようなのである。一度出来てしまえば、簡単なことだと思うのだが、出来ない内は何が何だかわからないものである。

それ故に、魄の稽古からの脱出や物質文明や競争社会から変わりたいならば、変われるように最善を尽くさなければならないだろう。変わるのだという強い決心、これまでのことを忘れ、また一からの再スタートである。つまり、生まれ変わったつもりで一つ一つの課題に取り組む事である。合気道の稽古も日常生活も生まれ変わったつもりでやるようにするのである。全く新しい稽古であり生き方である。二度目の人生を楽しめるわけである。これを第二の人生と云うのかも知れない。
生まれ変わったつもりでやれば、第二の稽古と人生を楽しめるのである。