【第845回】 『百歳の力』篠田桃紅
私が敬愛していた美術家の篠田桃紅さんが昨年2021年 3月1日に107歳で亡くなった。彼女の作品も素晴らしかったが、彼女の生き方や考え方に共感できたこと、そして私の合気道の精進に大いに役立っている。
彼女の展覧会には数回行き作品を拝見し、その超人的、別次元の筆の線や形に感激した。また、彼女に関する本も読んできた。

そして彼女の最後になる本「『百歳の力』篠田桃紅 − 106歳の現役美術家唯一の自伝!」(写真)を読んで感動した。これほど共感でき、また、合気道の修業に参考になるものはないと思った。本は赤線だらけになっている。
それで今回は、この本から共感したり、感銘を受けたり、参考になる文章を抜き書きすることにする。尚、抜き書きした文章に順序も関係もない。只、共感したり、感銘を受けた文章をピックアップした順に書き並べただけである。
- 「もっといいものが描けるんだといつでも思っているから次の作品をつくるわけで、これで完全にもう私のやりたいことはみなやりました、なんていうことは絶対にない。ありえない。宿命的なものです。次の作品への誘いが、いま、つくっているときに湧くんですから。ですから、つくるということは、続けるということです。道と同じ、ここで終わるという事がない。道を歩いていると向うのほうが見える。その向こうに行くと、また向うのほうが見える。山は登って頂上にたどり着いたらあとは下りますけど、道は折り返し地点がなく延々と続いている。人生と同じです。」
- 「自分というものを表現する場を持っていることは、精神衛生上、非常にいいのかもしれない。」
- 「フリーハンドでさーっと、思い切った線を引くのは、まあ、言わば一騎打ちに臨むときと同じです。ただ、そういう一つの決断を持って引いている.一気に引く線はつねに未知数だから、どうなるか自分でもわからない。でも、修練を積んでいるから、この程度の墨を筆に含ませて、こうしてこの程度の速度で引けばこうなる、と八分ぐらいの予測は出来るようになる。あとの二分、それはわからない。」
- 「最初は、自分の中で線を描いている。ところができるものは、毎回、ちがう。自分の意思に沿った線ではあるけど、つねに、どこか裏切られている。そして、そこに自分自身の初めての発見がある。一本一本の線が一期一会です。思いどおりにいかない、それがおもしろいんです。いつでも賭けなんです。だからやめられないんですね、やっぱり。」
- 「墨というのは、火でつくられて、水で生きます。火であって水なんです。相反する両極を持つから、美しいんですよ。富士山もそうです。底に火があって、頂きに氷がある。」
- 「少しでも心動かされる人がいれば、描いた甲斐があると思いますね。ですけど、そういうことが一切なくても、自分はやりたいことをやった、という満足が第一ですよ。人がどう言おうと、自分はこういうものを描きたかった、こういうかたちをつくりたかった、そういうものができれば、それでいい。」
- 「人間はアートを必要としないでも生きていけます。だけどこれまで、人間はなんて一生懸命に、美しいものをつくりだそうとしてきたんだろうって、私は思いますね。」
- 「私にやれることといったら、作品をつくることだけです。それができなくなったら、生きていたってしょうがない。描けなくなったら、終わる。だから、まだですよ。作品をつくりたいので生きています。」
- 「年をとったというだけで、作品はだんだん衰えている、というのでは、年をとることが、まるでプラスにはなっていない、百歳を過ぎて作品は衰えていくという証にでもなってしまったら、とてもつまらない。年をとるということは、いいことだ、っていうことになれば、そして百歳を過ぎた作品に、90歳のときにはない、いいものがなにかある、となれば、嬉しいですよね。百歳を過ぎて初めて描けた、というものができれば、いちばんありがたい。」
- 「私は、肉体的な力、腕力で描いているわけではないから、腕がくたびれるなんてことはないんです。不思議といえば不思議。ただ、筆が動いている。腕が動く以上、大丈夫なんです。強い力というものを必要としない。仕上がった絵を見ると力が入っているようなものもあるので、技術と道具の筆が生み出す間に、なにかがあるんです。それが芸術というものの秘密です。」
- 「年をとったら年をとったでいいんですよ。邦楽、落語、日本舞踊、歌舞伎、能などは、若いとき、老いたら老いたで、花時が短くない。よろよろになったってやれる。逆によろよろの方がよかったりする。オペラやバレーなどの西洋の文化よりも、花形でいられるのが長いですよね。日本の文化は、老いの芸術が多い。」
- 「上手い人っていうのは、心をかたちにする、心とかたちというものの間の経路のつくりかたがうまいから名人なんですよ。だから声が出なくなったってかまわない。観るほうも、筋書きは大体わかっていますから、お能という芸術は「かたち」というものを通して、演者の心を観客が受けとるようなものですからね。」
- 「完璧っていうことは、人には成しえないし、与えられない。いくら修練を積んでも、パーフェクトにはなれない。」
- 「私が消えても、作品はこの世に残る。つくったものが、私という人の「あと」です。」
合気道の精進に不可欠のヒントであり教えである。只、他人の文章を抜粋して並べただけだが、それだけの価値があるだろう。本来なら、それと自分との関連付けとかそれに対する自分の考え等を書くべきなのだが、今回はそれをしない。しかし、この文章の中には、今後の論文に取り上げたいテーマでもあるので、いつか書きたいと思っている。
参考資料 「『百歳の力』篠田桃紅 − 106歳の現役美術家唯一の自伝!」(集英社新書)
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