【第844回】 相抜けの稽古

半世紀以上稽古し、高齢になってくると稽古相手が少なくなってくる。合気道は誰とやっても稽古にならなければならないし、そうしてきたが、時として物足りなさを感じるのである。自分が精進するための相手が欲しいということである。

稽古を始めた頃は、誰でも強い、上手い先輩との稽古で学ぶ事になるので、先輩は上、己は下という関係での稽古になる。
また、先輩になって力がついてくると、己より力が弱い、実力が劣る相手と稽古をする傾向にある。己は上、相手は下の関係での稽古である。しかし、そればかりの稽古をしていると、上達は難しいように思う。何故ならば、何時も相手を投げ、決めることになるので、それで自分は強い、上手いと思ってしまい、更なる精進に真剣に挑戦しないようになるからである。

それに気づいてから稽古の方法と考え方を少し変えたのである。
これまで自由に投げたり、決めたりしていた稽古相手を強くすることである。強くなってもらって、自分と同じ、または自分以上のレベルになってもらうのである。そうなれば、自分が上で相手が下という関係での稽古ではなく、同レベルでの稽古が出来るようになり、お互いの上達が促進すると思うのである。

それでは後輩のレベルをどうして上げていくかというと、先輩の己が身につけたモノを伝えるのである。伝える事は、原則、大先生の教えであり、宇宙の法則である。また、道場での教えだけではなく、大先生の教えである『武産合気』『合気神髄』を読むようにとも言っている。

いずれ後輩たちは、己と技や体を同じようにつかえるようになり、互角の稽古が出来るようになるものと思っている。これが私のこれからの理想の相対稽古の形である。
これは剣聖針ヶ谷夕雲が説いた理想的な立ち合いの姿である「相抜け(あいぬけ)」という事になるだろう。高い境地に至った者同士であれば、互いに剣を交える前に相手の力量を感じ取り、戦わずして剣を納める、というものであるという。
しかし、合気道の相対稽古では「相抜け」だからといって、稽古を避けるわけにはいかないし、敢えて、相抜けの状況で稽古をすることに意味があると考える。これは合気道の稽古の理想であろう。
互角の腕、互角のレベルのモノ同士が共に稽古をすることである。この相抜けの稽古をしていきたいと考えている。