【第844回】 魂を気の中におこす

技を気で多少つかえるようになってくると、技が変わってくるが、これまでにない感覚を得るようになる。体が気によって働くようになるわけだが、その気が不思議な働きをするようになるのである。気は念・心などの意識によって生まれ、そしてつかわれると思うのだが、或る処から、またある瞬間から意識しなくなり、自ら動き働くのである。気で技を掛ける、まず相手とくっつき一体化し、更に気で相手を導き、そして決めたり投げるわけだが、気が独りでに動き働くのである。

これはどういう事なのか考えていたとき、篠田桃紅の作品展を見、そして彼女の著作となる「『百歳の力』篠田桃紅 − 106歳の現役美術家唯一の自伝!」(集英社新書)を読んだ。

彼女のある作品(写真)を見ると、筆で線が描かれているが、この線と形は人が意識して描こうと思っても描けるものではないと感じた。合気道的には、これは腕力(肉体的力)ではなく、所謂、気で描き、目に見える物資界ではなく、目に見えない精神界・幽界で描いているということになろう。

彼女はその本の中で、「フリーハンドでさーっと、思い切った線を引くのは、まあ、言わば一騎打ちに臨むときと同じです。ただ、そういう一つの決断を持って引いている.一気に引く線はつねに未知数だから、どうなるか自分でもわからない。でも、修練を積んでいるから、この程度の墨を筆に含ませて、こうしてこの程度の速度で引けばこうなる、と八分ぐらいの予測は出来るようになる。あとの二分、それはわからない。

「私は、肉体的な力、腕力で描いているわけではないから、腕がくたびれるなんてことはないんです。不思議といえば不思議。ただ、筆が動いている。腕が動く以上、大丈夫なんです。強い力というものを必要としない。仕上がった絵を見ると力が入っているようなものもあるので、技術と道具の筆が生み出す間に、なにかがあるんです。それが芸術というものの秘密です。」

ここで彼女が言っている「あとの二分、それはわからない」とか、「ただ、筆が動いている」「技術と道具の筆が生み出す間に、なにかがあるんです」が、合気道での「魂」であるように思うのである。

尚、己の気と美術家の「芸術というものの秘密」が一つになったことで、「魂」に一歩近づいたようで嬉しいかぎりである。

そしてまたこれを裏づけてくれるような大先生の次の教えに出会うことになったのである。
「技は動作の上に気を練り気によって生まれる。その気が全身にめぐり各器官たる全六根を浄め、天授の使命を完うする。又魂をその中におこし、磨き妙なる技を出し、又光を出し光となって、その光を地場として、魂は大霊に帰納し、技は妙なる技を出し、・・・・」(武産合気 P.104)
つまり、魂は気から生まれるということである。気を練っていけば魂が生まれるということであるから、魂のために更に気を練っていかなければならないことになる。「魂を気の中におこす」のである。


参考資料
「『百歳の力』篠田桃紅 − 106歳の現役美術家唯一の自伝!」(集英社新書)
『武産合気』