【第843回】 恩師の一言

年をとるということは、頭や体が衰えるなどのネガティブに捉えられるが、己が実際に年を取るとポジティブないい面があることが分かってくる。そのいい面は、若い時はわからないし、気がつかないものだ。年をとって、それまで分からなかった事が、ぱっと分かったり、じわじわと分かってくるのである。

私は合気道に関する論文を書いている。毎週、四つのテーマ(「合気道の思想と技」、「合気道の体をつくる」、「合気道上達の秘訣」、「高齢者のための合気道」)を書いているが、この論文は今や800回以上、3200編以上となった。15年以上書いていることになる。こんなに長く続けることができたのは、自分でも驚いている。

論文の基盤は大先生の教えである。特に、『武産合気』『合気神髄』である。この難解な大先生の教えを解読し、技に取り入れていくことである。解読するのも難しいし、その解読が正しいのかどうかの判断も難しい。学校の答えのある問題とは違い、答えがないので自分で判断しなければならないのである。その判断が絶対に正しいという自信はないわけである。
それでも挑戦しているわけだが、最近、何故、それでも書き続けているのかの理由が分かった。

それは恩師、有川定輝先生の一言である。
1999年、『ビジネスのための武道の知恵』を出版したので、有川先生にも寄贈させてもらった。先生はすぐに読んで下さったようで、一週間ほどしてお会いした時、「本は読んだ。自分の言葉で書いたのはいい。・・・・」と言われたのである。其の時は、まず、お送りして1週間もしない内に読まれた事に驚きと感謝であった。後で分かったのだが、先生の文字を読む速度は尋常ではないのである。ページをめくる際も、先生の指は紙に吸い付いているようで素早く流れるようにめくっておられたのである。私などの指をなめ舐めページをめくっているのとは大違いである。
次に、「自分の言葉で書いている」と言われた事である。これは褒め言葉であると実感した。先生はめったに人を褒めないことは知っていたので、一寸驚いたし、感激した。そしてこれが先生からの最初で最後の褒め言葉になった。しかし、自分で書いている」の本当の意味を当時は分かっていなかったのである。

今、ようやく「自分の言葉で書いている」の意味が分かった。その意味は、自分の考えを書いているということである。間違いであろうと迷いがあろうと、その考えを書いているということである。その自分の考えを書いた事を先生は評価して下さったのである。恐らく、先生にとって内容をまだまだだし、間違いもあったろうが、それはマイナーなことだったということである。多分、そのためか、本の内容に関しては何も触れられなかった。

私の論文を書き続ける原動力はここにあったわけである。自分の考えを書いているからである。間違いかもしれないし、迷いもあるが、自分で思ったこと、判断したことであるから「自分の言葉」なのである。
この「自分の言葉」で書き続けていきたいと思っている。
恩師、有川定輝先生の一言のお蔭である。