【第843回】 槍でつかう

これまで合気道の技は剣の理合いでつかわなければならないと書いてきた。『合気道技法』には、「合気道の動きは剣の理合であるともいわれているほど、その動きは剣理に則している。故に徒手における合気道の手は、剣そのものであり、常に手刀状に動作している。」(合気道技法 P.44)と記されている。
手は手先から手首を短刀、手先から肘までを脇差、手先から肩までを刀、手先から胸鎖関節までを大刀として使う事ができるし、使えるようにしなければならないと考える。
また、剣の動きで体と技をつかわなければ、体は上手く働いてくれないし、いい技も生まれない。例えば、体(支点)としての親指を用として動かしてしまえば、相手が掴んでいる手を離すことになるし、力も生まれない。勿論、剣では刃筋が通らないので切れないことになる。手刀の刃筋を通すためには親指を支点として他の指と手の平を用に返してつかわなければならない。
また、実際に呼吸法などで相手に思い切り掴まれた場合など、掴ませた手を剣としてつかえば大きな力が出るものである。

ここまではこれまで書いてきたことであるが、今回はこの剣と同様、合気道の技は槍の理合いでもつかわなければならないということである。これも私の発案ではなく、大先生が教えておられることである。
大先生は、「合気道は従来の剣、槍、体術を宇宙の和合の理によって悟ったものである」(合気神髄 P.109)と言われているのである。剣は前述の通りだし、体術は大東流柔術等を指しているわけだが、この大先生が学ばれた剣と体術を、宇宙和合の理によって合気道の技が出來たと云う事は明白である。
そしてこの体術と剣に加えて槍の理合いが加わったわけである。

これまで正面打ち一教に苦労していると書いたが、槍の理合いによって大幅に改善したのである。槍の理合い、槍の動きは合気道の技づかいには不可欠であることが実感できたのである。
槍の動きとは、簡単に言えば突く動きである。因みに剣の動きとは切る動きである。突くとは手先の方向(縦)に手を伸ばし、切るとはこの縦方向に対して十字の横に動かすことである。
また、物は女(剣)、心は男(槍)であり、男(槍)は火、女(剣)は水であり、火は引く息、水は吐く息であるから、槍は息を引く火である。強力な力が生まれるわけである。
正面打ち一教でも諸手取呼吸法でも、「うぶすの社の構え」から、息を引き乍ら、手を槍として突き出すのである。これが出来るようになると、正面打ち入身投げ、四方投げ等の他の技(形)でも出来るようになる。

何故、槍の動き出来るようになったかを考えると、「うぶすの社の構え」と「足の十字」が出来るようになったことだと考える。また、「うぶすの社の構え」が出来るようになったのは、布斗麻邇御霊とアオウエイの言霊であると思う。やるべき事を順序よく身につけていく事が大事ということである。

手を槍として突き出すと△になっていることに気がつく。合気の技は△で入身することを実感するのである。そしてこの△から△○□に繋がっていくのである。(「合気道の思想と技」の項参照)