【第842回】 左手で活殺、右手で止め

ここ数週間は、論文にあるように「足も十字」「天の浮橋に立つ」「うぶすの社の構え」等の研究をしてきた。これを布斗麻邇御霊とアオウエイの言霊でつかって、技と体を練ったのである。
そして、ようやく真の合気道の技とはこういうものなのか、体の働きとはこういうモノなのかを実感することが出来るようになってきたのである。
更にもう一つ大事な事が分かった。それは、合気道の武道・武術としての凄さである。合気道の技は神業といわれるほど超人的な威力があるといわれており、大先生はそれを人に示し、人に認められていたことは知られている。また、大先生のお弟子さん達も超人的な技をつかわれていたようだから、合気道の技には超人的な威力があるはずなのである。

これまで合気道の技を錬磨してきたが、この技が他人に効くとは思えなかった。それもあってか、相手を殲滅させるための稽古はやらなかったが、心の奥では、合気道は武道であるから、やるやらないは別にしても、いつでも相手を殲滅できるような技づかいの稽古をしなければならないのではないかと思っていた。

そして、「左はすべて発し兆し、無量無限の気を生みだすところであります。武産の生巣日、技正勝であります。魂の比礼振りが起こったら左が自在に活躍します。左で活殺を握り、右手で止めをさす。これが左の神業の意義であります。技が生か滅か、端的な活殺が武産合気であります。」(合気神髄P.70)という大先生の教えに出会ったのである。
左で殺して、右で止めをさすという危険極まりない教えである。つまり、合気道の技はこのように危険極まりないものにもなるということであろう。

では、左で活殺を握り、右で止めをさすとは具体的にどうするのかというと、それも大先生は次のように言われている。
「敵右手を以て我頭上に打ち込み来る時は水月の理に依りて左拳を以て右アバラを打つと同時に右拳を以て敵の顔面を打ちて後方に打ち倒すべし。」(『武道』七月号)
この「左で活殺を握り、右で止めをさす」教えは「足も十字」「天の浮橋に立つ」「うぶすの社の構え」が分からないと難しいだろう。しかし、これがある程度、身に着くと誰でもできるはずである。
また、これは法則であるはずなので、「敵右手を以て我頭上に打ち込み来る時」だけでなく、合気道の技(形)のすべてでできるはずである。勿論、この法則が使い易い技、やりにくい技、また、実感しやすい技、しにくい技はある。
例えば、正面打一教や入身投げは実感しやすいしやりやすい、また、剣の打ち込みでもやりやすいし実感しやすい。

尚、この「左で活殺を握り、右で止めをさす」は、右構え(右足を約半歩前に踏み出した半身の構え)の場合であるから、左構えの場合は、逆の「右で活殺を握り、左で止めをさす」ということになる。
「左で活殺を握り、右で止めをさす」は、左側に刀を差していた時の敵に対する武術に右構えが基本だったわけだから、右構えだけでよかったわけである。しかし、今は刀を差していないし、左利きにも対応しなければならないわけだから、左構えも稽古しなければならない。要は、右構えと左構えの両方をやった方が体にいい。合気道では必ず右と左をつかうようになっている。