【第838回】 使命観を持てばみな同じ

自分のやりたい事をやっていると、自分の事、人間の事、他人の事、世間の事、宇宙の事が分かってくるし、見えてくるようである。
また、やりたい事を続けていると、更に、これは自分の役割、所謂、使命であると思うようになるようだ。使命感というものである。
人が使命感を持てれば幸せだと思う。しかし、誰でも生まれてくるとそれぞれ役割があるようだが、それを意識する人は少ないようだ。

80年生きて来て段々見えてきたことに、誰もがそれぞれ役割(使命)を持ってやっていて、それが社会を構成しているということがある。一人でも欠ければ社会の構成は崩れてしまうから、一人一人が大事になるわけである。
ということから、人は対等・同等ということになるし、みんなで力を合わせて社会(地上、宇宙)をつくり上げていかなければならないことになる

また、他人を羨む必要もなくなるし、蔑む事も必要なくなる。子供の頃や、若い頃は、お金持ちや立派な家や車、高価な衣服などに憧れたり、会社の社長や大学教授を羨んだり、上手い絵を描く画家、楽器を演奏する音楽家等に憧れていても、それらに対する憧れも望みもなくなるだろう。
自分はこれでいいし、他人もそれでいいということである。つまり、それが自然ということである。

勿論、若い内は、やりたい事に挑戦し、成りたいものになれるように努力をすればいい。それもその人の使命であると考える。また、これが人は定められた運命を変えたり、切り拓くことができるということだと思う。

人はそれぞれ使命を持って、或る目的に向かって進もうとしていることが見えてくるようになる。私の目指している目標は、合気道の目標である“地上天国建設”である。合気道だけではなく、絵や音楽などの芸術、天文学や化学などの科学、仏教やキリスト教などの宗教等も“地上天国建設”が目標であるはずである。また、ビジネスでも学問等も本来の目標は“地上天国建設”でなければならないはずである。世の中を少しでもよくし、“地上天国”に近づけようと、絵を描き、音楽をつくり・奏で、研究し、祈り、働いているということである。人の目標は、進む道は違っても、誰も同じという事である。鳥、獣、虫でも、草木も子孫繁栄をもとに“地上天国建設”に向かって生存しているはずである。

勿論、世の中には一見それとは直接関係ないような人たちやその目標に反しているような人たちもいるが、それも彼ら、彼女らの役割であるから、社会に取って必要であるのだろう。何故ならば、そのような人たちがいなければ、この世、この社会は味気ないだろう。これらの人の役割も、合気道が目指す地上楽園の為の構成因なのである。只、自分の役割ではないという事なのである。

私は合気道の修業を続けることに最大の喜びを持っているからこれが役割であり、使命だと思っている。自分が使命を持ったと思うと、他人を羨むことはなくなってくる。対等になるわけである。若い頃のように、金持ちが羨ましくはないし、上手い絵や字を描く画家や書道家を羨ましいとも思わない。只、彼らに頑張って更なる活躍を祈り、共に“地上天国建設”の生成化育のお手伝いをしようと願うだけである。