【第835回】 神界を求めて

これまで800編以上の論文『高齢者のための合気道』を書いてきた。この趣旨は当初、高齢になったならば合気道とどのように関わっていくべきかということであった。高齢者になっていきながら、合気道をどう精進していけばいいのかという事であった。しかし、回を重ねていくうちに書きたい事が膨らんで、思っていたよりは広範囲なものを取り扱うようになってきた。
傘寿になったこともあり、高齢者といってもいいと思うから、傘寿になった高齢者(己)のための合気道もテーマになってくるわけである。

これまで何人かの魅力ある高齢者の事を書いた。植芝盛平先生、多田宏先生、有川定輝先生、加納治五郎先生などの合気道家や武道界以外でも、例えば、室井摩耶子、渋沢栄一、出口王仁三郎、浅野和三郎、奥村土牛、岸田劉生、山本鼎、高橋秀布、平櫛田中、熊谷守一、片岡球子、東山魁夷、篠田桃紅等(敬称略)である。この方々の事を取り上げて書いたという事は、この方々に興味があったという事であるわけだが、ここには何か共通の興味があったことになる。
これまではそれが分からなかったが、それがようやく分かった。
それはこの方々は、合気道の目で見れば、神界の次元で仕事をされたということである。

神界とは、合気道での顕幽神界の神界である。顕界は現界ともいい、目に見える日常生活の世界である。物質主体で競争の世界である。
幽界とは目には見えない、精神が主体の世界である。合気道では気の世界であり、気が肉体を制御する世界(次元)である。気を練って気で仕事をするということである。この幽界で体や技術を練ることになる。合気道の体と気を練るに対し、例えば、画家は線や円などの形やデッサンなどの基礎を身につけることになるのだろう。これはやる気があれば誰にでも出来るはずである。勿論、才能と努力の関係で上手い下手はできる。故に、この幽玄の次元にある人は結構いることになる。しかし、人はこのレベルの仕事や人を完全に心から評価をしないものである。更なるレベルアップをしなければ評価されないのである。

私が取り上げた上記の方々は、幽界ではなく、その上の神界で仕事をした方々であると考える。それを無意識に感じ、引きつけられたわけである。また、己自身もいつの日か、神界で合気道の技をつかいたいと願っているからである。“神業”がつかえるようになりたいと思っているわけである。
これからは神界を求めて修業に励んでいきたいと思っている。