【第834回】 加納治五郎も絶賛したもの

高齢者になってくるとこれまで分からなかった事や疑問が解けてくる。若い頃に抱いた疑問が解けるのである。若い内はその疑問は解けず、横に於いてきたわけだが、或る事がきっかけとなって、これはあの時の疑問を解決してくれるものではないかと思い、その疑問を再び取り出すのである。

最近解けた疑問の一つは、大先生の所謂“神業”である。何故、大先生の技があれほど評価されたのかということである。竹下勇海軍大将などの軍人、内海勝二男男爵等の皇族、花柳寿美社中の綺麗どころ、二木健三博士等の学者、力士の天竜三郎、それに加納治五郎などの武道家等々が大先生の技を絶賛されていたことである。
大先生の技を絶賛されたのは武道の世界の方々だけでなく、武道や勝負には関係のない方々も居られたという事がポイントなのである。
絶賛されたこれらの様々の世界の方々は、常々最高のものを見ているはずなので、その目は肥えていることは間違いない。レベルの低いものや並みのレベルのものは評価しないはずである。これらの方々は、その立場々々の目でご覧になっており、これは最高の技であると絶賛されたということである。
皇族や綺麗どころや学者は、それぞれの立場の目で見ていたわけだが、武道家のように強いとか弱い、技が効くとか効かないなどと見ていなかったはずである。つまり、武道とは直接関係のない視点で大先生の技を評価し、絶賛されたはずなのである。
勿論、天竜三郎や加納治五郎は当然、武道の目で大先生の技を見、そして評価、絶賛したことになるはずである。
加納治五郎は、「開祖の神技に接し、『これこそ私が理想とする武道である』と絶賛、門下の武田二郎と望月稔を研修のため長期派遣した。」(『植芝盛平生誕百年 合気道開祖』)という。
加納治五郎も柔道の創始者であり、素晴らしい技もつかえ、優秀な弟子もいたわけだから、それを大先生の技は超えていたということになる。

大先生の技は、武道家を絶賛させただけではなく、武道の外の世界の人たちにも絶賛させたわけだから、大先生の技には武道も芸能も学問も超越した何か共通したものがあって、それが各界の一流の方々や人々に感銘を与えたということである。それは、ちょっと上手いとかいう量的な事ではなく、質の違いである。次元が違っていたのである。
それは何かというと、合気道の教えにある「重い空の気を解脱して真空の気に結んで出る技」である。
一般的な上手といわれるのは、空の気での技づかいの段階であると考える。この技づかいはそれほど難しいことではないし、このレベルの稽古人は結構いたと思う。合気道で云えば、塩田剛三、中倉清、富田健治、湯川勉、白田林二郎等である。

音楽の世界でも絵画の世界でも、上手な人と神業の人がいる。世界的に評価され、絶賛されるのは神業を持つ人であり、重い空の気を解脱して真空の気に結んで出る技、絵、書、声であると考える。
空の気の次元にある人は、その世界では評価されるだろう。つまり、合気道なら合気道の世界で、もう少し上手ければ武道の世界で評価されるわけである。絵画でも音楽でも同じであろう。
真空の気の次元に入れば、己の居る世界だけでなく、すべての世界の人達に絶賛を与えることになると考える。
合気道も大先生を目指して、武道界だけでなく、すべての分野、人々に評価されるように、重い空の気を解脱して真空の気に結んで出る技にしなければならない。これが合気道の役割であると考える。人は誰でも素晴らしい音楽や絵画に感激するように、人を感激させるような技をつかうようにすることである。人の素晴らしさ、生きている事への感謝を与えることができるはずだからである。これが合気道の使命である地上楽園建設のお手伝いであると考える。

尚、空の気と真空の気に関しては後日書くことにする。