【第834回】 アイウエオ

これまでフトマニ古事記の布斗麻邇御霊とアオウエイの言霊で技と体をつかって、技と体を練ってきた。それ以前の腕力や体力に頼っていた頃よりもいい技が出るようになったし、力も出るようになった。そしてこの稽古法こそ究極の稽古法ではないだろうかと思うようになった。
しかし、この稽古を続けて行くうちに、最近、これでもまだ完全ではなく、何かが欠けており、何かを改善、捕捉した稽古の必要性を感じるようになったのである。

そしてその欠けたモノ、捕捉すべきモノが分かった。それも大先生の次の教えにあったのである。
『「スーウー」スは成長してウ声に移り、ウは成長して二つに分かる。・・・「ア」が生まれる。大地のひびきが「アイウエオ」、天からの気が下がって「アオウエイ」神の御柱、その霊の働きによって一霊四魂三元八力、全身に拡がる大きな動きは宇宙に気結び、御結びされる。・・・・七十五声の本能の動きがすべて言霊となるのであり、この言霊の動きを無限に出したら世界が動く。』(合気神髄p.132)
つまり、これまでは布斗麻邇御霊とアオウエイの言霊で技と体をつかっていたわけだが、この「アオウエイ」は天から下がる気の働きが主で、手や頭や上半身の働きは活発なのに対し、足や下半身がそれほど活発に働かないのである。つまり、足がしっかり地につかず、体が安定しないし、力もでないのである。これが欠けていたモノだったのである。

布斗麻邇御霊で「アオウエイ」と「アイウエオ」で技と体をつかうと、足が地にしっかり結び、体も技も安定するし、大きな力も出てくる。足が地のひびきとひびき合って気結びすると感得できるのである。
だが、ここで疑問に思ったのは、布斗麻邇御霊で「アオウエイ」と「アイウエオ」の言霊を同時につかうわけだが、異なる言霊をつかう事によって言霊同士の反発や不具合はないのかということである。
そこでそれを次のように考えてみた。
先ず、言霊は五つづつであるが、共通するものはアとウとエの三つで、同じカ所にある。故に、このアウエの三つは反発し合わないから問題ない。
 ○アオ○ウ○エイ
 ○アイ○ウ○エオ

異なるのは「ア○オウエ○イ」のオ、イと「ア○イウエ○オ」のイ、オの入れ替わっている事である。
しかし、「ア○オウエイ」のオは、“高くめぐりて大地で空に結ぶ”とあるように、地に下りるし、イは大八島國をつくるように地を固めたわけだから地に下りることになり、「アオウエイ」と「アイウエオ」での反発はないことになる。

布斗麻邇御霊に則って「アオウエイ」と「アイウエオ」の言霊で技をつかえば、これまでの「アオウエイ」だけよりも数段上の技づかいができることがわかったわけであるが、この「アイウエオ」を大地のひびきとして、剣や居合、四股踏みなどで活用するとその効果は相当なものであることが分かる。例えば、これまで四股踏みではふら付いて、足が十分に上がらなかったが、「アイウエオ」によって大分改善された。
また、通常の歩行も「アイウエオ」の原理であると思う。「アイウエオ」も宇宙の法則ということである。
但し、「アイウエオ」と「アオウエイ」を入れ替えてつかっても、気は上手く流れず、技や体の動きも上手くいかないのである。歩を進めるのは、やはり「アイウエオ」でなければならないし、手で技をつかうのは「アオウエイ」でなければならないということである。