【第833回】 日常が大事に

傘寿を越してくると、身体の働きも以前とは少しずつ違ってくる。所謂、老齢化である。若い頃は老齢化すると心体は衰えるだろうとは予想していたが、何処がどのように衰え、その結果どうなるのかなど考えもしなかったし、老齢化の実態など想像もできなかった。
今はそれが現実のものになり、毎日、その戦いで悪戦苦闘しているところである。

己の体験している老化についてもうすこし詳しく書いてみると、初めに足の衰えであった。足の衰えによって、躓いたり、足が上がらなくなることによって、体の移動や動きがスムーズにいかなくなり、技も効かなくなるのである。体の動きが悪くなる事によって、食欲が減退し、睡眠も浅く短くなった。
この足の衰え、老化ということは、何かの基準に比較して分かった事であるわけで、その基準はそれまでの日常ということになる。これまでの日常の足の働きと比べて、その働きが悪くなったということなのである。そこでこれでは不味いと思い、これまでの日常を戻そうとしたわけである。

次の衰えは頭と体のふらつきだった。はじめは、これまでも経験していた暑さのせい、酒の飲み過ぎの二日酔いのせいかと思ったが、どうもそうではないとわかった。暑さや酒のせいなら日常的であるから問題ないが、非日常的なので問題なわけである。故に、非日常的な方法でこの問題と挑戦する必要があるわけである。まずは酒をやめてみた。完全にアルコール飲料は飲まなくしたのである。一大決心であったし、以前では考えられない事であった。以前は、他人にも、ビールやワインやお酒などの酒を飲まずに人生何が楽しいのか、気の利いたサルでも酒は飲んでいるのに人間が酒を飲まないとはサルにも劣る(生きる喜びを減らす)と豪語していたものである。
酒を止めてみると体調は大分よくなったが、まだ、あまり良くない。そこで体調が酷い場合や逆に良好の場合のそれに伴う状況(飲食、睡眠、天候、稽古等)を思い出してみると、塩分の摂り過ぎが大きく影響しているようだという事に気がついた。塩分摂取を極力抑え、水を取るように心がけた。
更にもう一つの対処法を見つけた。天の気と己の気を己の念によって交流することである。天と己の気が交流している限り、人は息を続けることが出来るし、しっかり動けたり歩くことが出来ることを、合気道で教わっているからである。しかし頭と体のふらつきは残念ながら、まだ完全に解消したわけではない。

だが、これは恐らく最終的な解決法であると思うので、これで解消できなければ、これは老化という自然の掟であるということで受け入れなければならないと思っている。この状態で、生活し、そして合気道の稽古をしていくということである。例えば、これまで日常的に当たり前にやっていた前受け身は出来ないが、何とかまだ出来る後ろ受身でやるのである。そしてこれが日常になるわけである。日常が非日常になり、そしてそれが日常になるわけである。

最近感じる老化は股関節である。一時は、朝寝床から起き上がるのができないほどの痛みがあったが、今は、息づかいと気を流すことによって多少違和感があるものの大分よくなった。
尚、この股関節の前に、これと同様な、肩周辺の痛みからの老化を体験している。今では肩周辺の痛みはほぼ解消しているが、これで肩と股関節の密接なつながりがあることが分かった。

年を取ってくると、このように何か必ず老化問題がある。生活も稽古も  これとの挑戦である。身体に何も問題がなく、どこにも痛みを感じないとか、体が盤石で爽快であるなどということはないものである。どこか一つには、痛いとか、動きづらいとかという問題があるのである。これが新たな日常である。以前の日常から言えば非日常であるが、それが日常になったのである。

高齢になれば、高齢老化でこれまでの日常が非日常になっていくのを、まずは日常に復帰することが必要である。老化で欠けたところ、減退した処を日常の枠に戻すのである。しかし、完全復帰はどんどん難しくなっていくので、それまでの完全な日常へは戻れない。これは非日常であるが、また新たな日常となり、この日常で生活をし、稽古をしなければならないことになる。つまり、完全な健康状態でなく、腰が痛いとか、腕が上がらないとかという状態で生活し、稽古をしていくのが日常であり、正常ということになるということである。