【第833回】 かたにはめ込む

入門仕立ての稽古人が見せる合気道の形と長年稽古を続けている者、また、大先生の示された技の形には違いがある。同じ入身投げの形でも同じではないのは一目瞭然である。同じ形が違う形、異なるような形になってしまうのである。我々の理想は、大先生に近づくことであるから、大先生の形に近づくようにしなければならない事になる。それではどうすれば大先生の形に近づくようになるか、どのような稽古をすればいいのかということになる。

まず、形について確認する必要がある。
形には目に見える形と目には見えない形があることである。合気道に入門した初心者はこの見える形を身につけるべく稽古をする。一教、四方投げ、入身投げ、小手返しなどの形を稽古するのである。これは難しい事ではなく、1年も稽古すれば誰でも出来る。勿論、上手い下手はある。

この見える形を追っての稽古は更に続くわけだが、最初と大きく違うのは、その形で相手を極めよう、倒そうとするようになることである。
だが、相手もその形を知っていることもあり、相手に抵抗されればその形では相手が倒れてくれない事がわかってくるのである。
そして本格的な稽古、形の稽古が始まることになるのである。ここまでは何度か書いたことである。

初心者用の形は、見える形で、手足の肉体による形であったが、高段者用の形は、見えない形で、技による形である。つまり、合気道の技で構築される形である。
合気道の技とは、宇宙の営みを形にしたものであり、宇宙の法則に則っているわけだから、求める形は宇宙の営みに従った動きの軌跡や拍子や力を備えていなければならないし、真善美の形でなければならないことになる。

初心者からやってきた一教、四方投げ、入身投げ、小手返し等の形に、今度は宇宙の法則に則った技で、宇宙の営みをはめ込んでいくのである。
例えば、まずは、足を右左と陰陽につかう。手も左右陰陽につかう。足と手を左右共に陰陽でつかう。手と足と腰腹を十字々々につかう事である。
これは目に見える肉体的な形の稽古であるが、次に目には見えない次元の形の稽古に入らなければならない。気の形の稽古である。本来なら、気の前に息の稽古をしなければならないが、省略する。
気の形は、フトマニ古事記の布斗麻邇御霊の気の運化を身に着ければいいと考える。布斗麻邇御霊の各々の御霊の息づかいで気が生まれ、御霊から御霊にかわる際に気が動く。但し、布斗麻邇御霊の形象に従ってやらないと気は生まれないし、働かない。しかし、この形に己をはめ込むのは容易ではないと思うがやらなければならない。例えば、合気道の技は阿吽の呼吸でやるのが理想といわれるが、阿吽の呼吸はこの布斗麻邇御霊がつかえないと身に付かないと確信している。

気が出るようになり、つかえるようになってくると技が変わってくる。
合気道のすべての形(一教、入身投げ等)を△○□で出来るようになる。つまり、すべての形を△○□にはめ込んでいけば良くなるわけである。

また、更に気を鍛えるために、手を十字につかうようにする。手を縦に伸ばしたら、伸ばし切ったところで今度は手を横に拡げ横に気を出し、その気で手を横に移動する。横で止まった処で、縦に手と気を伸ばし・・・と手を十字につかい、気を十字に出しつかう。手は手首、肘、肩、胸鎖関節、肩甲骨から先をいう。相手を倒そうなどと考えるのではなく、手と気の十字の形に己の心身をはめ込んでいくのである。

更に、一霊四魂三元八力の“奇霊、荒霊、和霊、幸霊”、“気、流、柔、剛”、“動、静、解、疑、強、弱、合、分”の“形”にもはめ込んでいけばいい。

形にはめ込んでいく稽古は容易ではないが楽しいものである。宇宙を取り込んでいくわけだから楽しくないわけはない。また、形にはめ込んでいかなければ形が崩れてくる。そして自己流となる。形にはめ込む稽古をしたいものである。