【第833回】 天の気から天地の呼吸へ

合気道をつくられた大先生と我々の技づかいには雲泥の差があるわけだが、その雲泥の差が大先生のどこにあるかを考えてみると、主に次の二つの事にあると思う。一つは、顕界ではなく、目に見えない幽界・神界の次元でやられていることである。魄の力ではなく、気や魂で技をつかわれているということである。
二つ目は、宇宙と一体となって、宇宙と共にやられている事である。人間相手の勝負などという小さい次元ではなく、広大無限の宇宙の営みで技をつかわれているということである。

これまでフトマニ古事記で技を掛けるようにするなど、宇宙に多少は近づいた稽古をしたように思っていたが、残念ながらまだ宇宙と一体化し、宇宙と共に技をつかっているという実感が持てなかった。そこでいろいろ研究していくと、次のような大先生の教えが目に入った。
「天の気,地の気、要するに天地の気と気結びすることである。 合気では、自己の気と、この宇宙と一体となる。」(合気神髄p172)
つまり、事のはじめには、まず、天地の気と己の気を結ばなければならないということなのである。これまでは手や足や体幹に気を満たし、相手の攻撃を受け、捌き、そして収めていたが、その前に己を天と地で結ばなければならなかったわけである。受けの相手など小さなものを対象にするのではなく、宇宙を対象にするわけである。確かに、これなら宇宙との一体化が出来るし、宇宙と共に技がつかえるはずである。

また、大先生は、「つまり天の気によって天の呼吸と地の呼吸を合わせて技を生み出す。これが人のつとめであり、その上吾人には八百万の神々が悉く道に守護してくれることになっている。天の呼吸との交流なくして地動かず、ものを生み出すのも天地の呼吸によるものである」と教えておられるのである。天の気によって天の呼吸と地の呼吸が行なわれるのである。これで技を生み出していかなければならないし、また、人のつとめであると言われているのである。この点をもう少し詳しく見る必要があるだろう。

天の気とは、日月の気、つまり、昼夜関係なく天に満ちている気であろう。人にも気があるから、己の気と天の気を結びつけることができるわけである。
それを結びつけるのは念である。それを大先生は、「念を五体から宇宙に気結びすれば、五体は宇宙と一体となって、生滅を超越した宇宙の中心に立つことができる。これが武道の奥義である。」と教えておられる。

また、天の気によって天の呼吸と地の呼吸が営まれるとある。気と同様に、天の呼吸、地の呼吸と己の呼吸を一体化してつかうということである。大先生は、それは可能であると、「人の息と天地の息は同一である。つまり天の呼吸、地の呼吸を受け止めたのが人なのです。」言われているのである。

天の呼吸は、布斗麻邇御霊のや阿吽の呼吸のアーである。地の呼吸は、のオーである。アーと息・気が腹を中心に体中・宇宙に拡散し、オーで拡散した息・気が腹に収まる。人はこのアーとオーで足をつかい歩いている。これまで気付かなかったが、足も人の体は本当によくできていると驚く。
また、天の気としっかり結んでいれば、天の呼吸と地の呼吸でしっかり歩けるが、年を取ってきたり、怪我をすればその働きが機能しなくなるわけである。
技を生むのも同じである。まずは天と己の気を念で気結びして天の呼吸と地の呼吸に働いてもらわなければならないのである。念とは文字通り“今の心”であろう。
尚、天の気同様、地の気もあるが、その内に研究してみたいと思っている。