【第830回】 布斗麻邇御霊から別れた気

フトマニ古事記の教えに従って、布斗麻邇御霊で気を練っているが少しずつ気というものが分かってくるし、つかえるようになってくる。そして大先生の教えの通り、気は力の大王であるということも実感出来るようになってくる。
そこで一度原点に戻って、気をおさらいしてみたいと思う。その基となる原典は、大先生も研究されたはずの『大本言霊学』(出口王仁三郎著)である。尚、この基は『水火伝ミツホノツタヘ』(山口志道)である。文章も内容もほぼ同じである。
まず、気の原点である。「この天之御中主神御霊の御霊の正中のシルシは天地未生のなり。この御霊の御像は即ちヽ(日月星)なり。萬物この御霊より発するなり。」とあるように、この気は、天地の気であり、万物をつくっていくことになる。
次の気は、高皇産霊神・神皇産霊神両神合体の御霊は、天地人の気の搦て天地をなし、水火搦て人をなす。萬物搦むこと皆一なり。」
天地の気と人の気が搦み、そして水火が搦んで人、万物がなる。
技をつかう際も、この天地の気と搦んでつかうことになる。

その次の気は、伊邪那岐神の御霊、伊邪那美神の御霊で、「天地人間初めて気を発するの義なり」とあるように、ここで初めて技に気をつかえるとことになる。また、「縦横をなすを天の浮橋というなり。故にこの二柱の神天の浮橋に立つというなり。胎内(腹中)に初めて動くは天の浮橋なり。」とあるように、縦横で十字になると天の浮橋に立つことになり、そして気が発するのである。つまり、気は十字から生まれることになるわけである。

この後に、筑紫島、大八島國と運化するが、いづれも縦横十字をつくるわけだから、気が生まれることになる。前者のとの違いは、前者は息を吐いて十字をつくって気を生むのに対し、息は引いて十字をつくって気を生む事である。

この七つの布斗麻邇御霊の運化に従って気を生み出していくわけだが、咄嗟の場合や、突然の攻撃に対してこれでは間に合わない場合があると思う。はじめは、この布斗麻邇御霊の錬磨で超高速の動き、どんな場合の対応も出来るようになるはずだと思って稽古をやってみたが、どうもそれは違うようだと思うようになった。布斗麻邇御霊の七の気の動きだけでなく、もっと単純で素早く動ける気の動きに働いてもらうのである。
今でも鮮明に覚えているが、或る時有川定輝先生は、稽古で我々がやる技の模範を見せてくれている時、先生の説明が終わらない内、受けの相手が突然無意識に打ち出し手にも、すかさず反応され、制されておられたのである。打った受けは先生の死角にあったので、これは先生でも打たれるなと一瞬思ったが、先生は間髪を入れずにその手を制してしまったのである。驚きと驚嘆であった。
この秘密は布斗麻邇御霊と別の気であったようだということが分かった。

『大本言霊学』には、七つの布斗麻邇御霊の気とは別に、この布斗麻邇御霊から別れた天地の気があると次のように記している。 「此の形は布斗麻邇御霊より割別れたる水火の形なり。是をもって天地の気を知ることを得」

つまり、布斗麻邇御霊で気が生まれるようになれば、その布斗麻邇御霊から別れた気をつかえるようになるということであろう。そしてまたすべての動きに気が生じるということである。これで有川先生の摩訶不思議だった早業も解決できる。後は、それを身につける稽古である。