【第829回】 魂のひびき

「第825回 気・流体、柔体、固体のみそぎ」で書いたように、気・流体、柔体、固体を禊がなければならない。具体的には、合気道は禊ぎであるから、合気道の技の錬磨の中でやることになる。一般的には、道場での相対稽古でやることになるが、相手がいるので難しいものである。相手にも思うところがあるだろうし、お互いに対抗心を持つだろうし、こちら側もそのうち禊ぎと云う事を忘却の彼方に押しやってしまうものであるからである。
その為にも、独りで禊ぎをする必要がある。一人なら相手に邪魔されることも、気にする必要もないので自由にできるし、成果も上がる。勿論、一人で出来たからと言って、相対で出来るという保証はない。しかし、一人で出来たことは、相対で相手がいても必ず出来るようになるはずである。一人で出来たという事の目標があるわけだからである。

さて、気・流体、柔体、固体のみそぎをしていていくと更なる事が分かってきたので書いて置くことにする。
主に片手取り呼吸法と正面打一教で剛柔流の稽古をした。柔は別として、剛と流の技と体づかいを極限剛と流でやった。布斗麻邇御霊とあおうえいで体全体が骨であるように強固となり、また、体が流体(血液等)であるようにして体と技をつかうのである。
するとこれまでになかったような不思議な力が出て、それが働くことを感得するようになる。そして是こそが気であると実感するのである。
つまり、流の先に気があったわけである。これが大先生の教えておられる「気・流、柔、剛」であるはずである。また、剛の対照にあるのも気ということになる。しかも剛が極限的な剛でなければ、また、流が極限的な流でなければ、気は生まれないということである。適当に力を込めたり抜いても気は出ないのである。

気が出てくると、体も気で満ちるようである。血などの流体も筋肉などの柔体も骨などの個体も気でしっかりしてくる。気で満たされた体で気を出して技をつかうとこれまでになかったような事が生じる。片手取り呼吸法では、掴んでいる相手の手にこちらの手が磁石のようにくっついてしまい離れ難くなるし、また、相手が浮き上がってくる。また、相手との接点にこちらの全体重がかかったり、無重力に出来る。大先生が云われる、天の浮橋に立った姿であると思う。
この感覚で正面打一教や入身投げ等々も研究しているが、片手取り呼吸法と同じである。「気・流、柔、剛」「天の浮橋に立つ」は法則であり、すべての技(形)はこの法則に合しているし、合しなければならないということである。

「気・流、柔、剛」「天の浮橋に立つ」から気が生じ、気が働くようになると更なる新たな現象が起こってくる。
それは気が自然と動くようになるのである。これまでの気の動きと違う働きである。これまでの気は気を満たそう、気を出そう、気をつかおうとして動く気であった。こちらの心や念に従って動いた気であった。が、今度の気はこちらの心や念ではなく、言うなれば、心や念までも導く動きをするのである。

これはどういうことなのかを考えていると、次のような大先生の教えが目に入った。
「合気は宇宙組織の魂のひびきを神習うての発動である。すべて宇宙の魂のひびきで合気を実践し、無限の力を生み出していかなくてはならない。宇宙組織の魂のひびきは、すべて宇宙に学び、宇宙の中心に帰一し、宇宙と同化していかなくてはならない。そして宇宙とともに進むのである。このようにして自己の体内に宇宙組織を、正しく造りあげていくのである。宇宙組織を宇宙の魂のひびきによって、ことごとく自己の心身に吸収して結ぶのである。その延長が世界の人々の心と和すのである。すなわち和と統一に結ぶのである。」(武産合気p37)
つまり、この自然に動く気こそが「宇宙組織の魂のひびき」であるということではないかと思う次第である。今後、この魂のひびきを研究していきたいと考えているところである。