【第829回】 引力の錬磨

「日本の道を産み現わすことを武産という。武産(たけむす)とは引力の練磨であります。」と大先生は教えておられる。真の合気道は武産合気であり、引力の錬磨・養成ということである。修業が進むほど引力が身に付かなければならないという事である。相手をくっつけてしまい、相手を自由に導く物理的な力である。相手が打ってきても、手を掴んできても、こちらの手にくっつけてしまう力である。また、こちらの手で相手の手に触れるだけで、相手の体をこちらの自由にできるものである。
また、相手と触れなくとも、相手の心を己の中に吸集してしまう精神の引力である。これを、大先生は「合気道は相手が向かわない前に、こちらでその心を自己の自由にする、自己の中に吸集してしまう。つまり精神の引力の働きが進むのです。」(武産合気P.52)と言われている。これは難しそうなのでその内ということにする。

引力が身に着くよう、そして引力が増強し、そして働くように合気道の稽古・修業をしなければならないわけだが、それではどのようにすれば引力の養成と鍛錬ができるのかを研究しなければならないだろう。

これまで引力に関してもいろいろ試行錯誤してきた。分からないながら、引力がつくように、出来るだけ引力を意識して稽古をしなければならないと思いながら技を練ってきた。取り分け、片手取り呼吸法は出来るだけやるようにしていたわけだが、お陰で引力とはどのようなものであるか、どのような働きがあるか、どうすれば鍛えられるか等を学んだ。また、引力が何故これまで身に付かなかったのかも分かることになった。

引力が身に着くためには、やるべき事をやらなければならいということである。やるべき事とは、己と宇宙の一体化である。つまり、己の心、体、技を宇宙の営みに則ってつかわなければならないということである。
具体的に謂えば、布斗麻邇御霊の形象とアオウエイの言霊で引力を発生させるのである。ア声が天に向かい、オ声が地に向かうと、ア声とオ声が対象となり気が生まれ、引力が発生するのである。そして天の気がずっと下がってきて天地の妙精力がはたらく。つまり引力と引力との交流になるのである。これを大先生は、「上に巡ってア声が生まれ、下に大地に降ってオの言霊が生まれるのである。上にア、下にオ声と対照で気を結び、そこに引力が発生するのである。」(合気神髄P111)。また、「我々の上には神があると思わねばならない。なぜならば長い間仕組んで出来上がった天や地、そこにある引力 ――これは天の気がずっと下がってくる――天地の妙精力、つまり引力と引力との交流によって世界が収められる。」(合気神髄P.58)と教えておられる。

実際に・ア声と・オ声で体と技をつかうと、手先に引力が生まれ、相手の手にくっつき離れないようになる。相手の手の上からちょっと触れているだけでも相手の手は下に落ちないし、くっついたままなのである。
この状態になると、手先と腹がしっかり結んでいるので、腹で手先の力を自由に調整できる。つまり、気を出し、気で調整し、気を流しているのである。この手の状態は、所謂、“天の浮橋に立った”状態であり、天にも地にも片寄っていないということである。手先を天に上げようとすれば、地の力が働き、また、地に下そうとすれば天の力が働いて引力と引力の交流が行われ、天の浮橋に立った状態になるわけである。

この引力の天地の交流が生まれてくると、手が己の心や意思と別に動くようになるようである。何か絶対的な動きの軌跡に従って動くようで、己の心はそれに従っているのである。これが魂であり、宇宙の意志であり、真の心ではないかと考えているところである。