【第828回】 心を鍛える

「合気の道を究めるには、まず真空の気と空の気を、性と業とに結び合わせ、喰い入り乍ら技の上に科学を以て錬磨するのが修業の順序であります」(合気神髄p123)と大先生は教えておられる。
これまでは技・業の研究と鍛錬を続けてきている。宇宙の営みを形にした合気道の形を、宇宙の法則に則った技で、技と体を練ってきたつもりである。そのために、一霊四魂三元八力、天下水地、赤玉白玉真澄の玉、布斗麻邇御霊のフトマニ古事記、イクムスビの息づかい等々のお教えに従って技の精進を図ってきたわけである。

しかし、最近、技とは別な大事さがある事がわかった。その切っ掛けになったのは次の“三種の神器”の教えである。
「わが国には昔の話に三種の神器というものがありました。御剣、御鏡、御玉、これは剣とか鏡そのものをいうのではなく、勇、智、仁という、人として欠くことのできない心の宝を指してかくいうのであります。合気道はこの古の神器の姿を、みな自分の腹中に胎蔵して修行していかねばならぬことを教えます。」(合気神髄p31)
この三種の神器の御剣、御鏡、御玉が象徴する勇、智、仁を修業しなければならないということであるが、これを修業すれば技が精進出来るとはこれまで思えなかったのである。
だが、この三種の神器も技の上達、そして合気道の精進には不可欠である事がわかったのである。

これまでの修行は、言ってみれば、技や体の修業、無機質の修行であったといえるわけだが、これだけでは理想とする技はつかえないはずである。宇宙と一体化する技、地上天国建設のための技は心が伴わなければならないはずである。よって無機質の修行と共に有機質の修行をしなければならないということになる。これが前出しの教えの「性と業とに結び合わせ、修業する」ということである。因みに、性とは、人間に生まれながらに備わっている心である。技(業)と心が表裏一体となるように修業しなければならないということである。

もうひとつ心の修行が大切だという教えとして「真善美」の教えがある。大先生は、「人間の根本義は志操、篤実、品行方正にして、慈善心、至誠心あることを必要とし、真善美を基に、これを保つことである。」(合気神髄 P.110)と教えておられる。真善美を探究し、保持することにも努めなければならないのである。これは合気道の修業だけで出来ることではない。周りの人々や自然、先人等々万有万物から学んでいかなければならない。
これまでは技の錬磨に集中して修業をしてきたが、これからは心の修行にウェイトが移っていくような気がする。そして更に、技と心(技・業と性)が表裏一体となって働くようになるだろう。
因みに、合気道は「気育、知育、徳育、常識の涵養」であるとも言われるが、無機質な感じがする。一方、三種の神器の御剣、御鏡、御玉である勇、智、仁は心であり、有機的である。そこでこれらの無機質なものと有機質なものを表裏一体にして働いてもらうようにすればいいと考える。つまり、気育/御剣/勇、知育/御鏡/智、徳育・常識の涵養/御玉/仁である。