【第827回】 顕幽神界

前回の『第826回 魂への道』で書いたように、そこに書かれた大先生の魂の教えを少しずつ解明していきたいと思う。この方法が、難解な「魂」を解明し、会得するための最善の方法と思うからである。
今回は、まず、そこにある「顕幽神界」から始めることにする。この「顕幽神界」から「魂」の重要な事がわかるようにするのである。

大先生は、「顕幽神というのは、つまり顕界は、この世の世界、また幽界は仏教の世界、神界は魂の世界」といわれている。神界が魂の世界であるということである。これだけでは魂は分からないので、次のように考えてみる。
顕界はこの世の世界であり、目に見える世界であることは問題ない。幽界は仏の世界であるからが問題であるが、幽界をこれまでのように、目に見えない世界とする。仏の世界ということを考慮して、モノがあるが目に見えない世界と考える。所謂、幽の体である。因みに、顕界は見えるモノがあり、目に見える、体の体である。そしてこの顕界と幽界の次に神界となるわけだが、目にも見えないし、モノもない。幽の幽である。しかし働きがあるはずである。

ここで顕幽神界を合気の稽古で考えてみる。上記で大先生は、「神界は魂の世界」と謂われているから、顕界の稽古を魄(腕力、体力)の稽古。幽界の稽古は、目には見えないがあるところの息と気の稽古であると考える。これは、顕界⇒幽界⇒神界の稽古の順序と上達の順序に一致している。つまり、身体を十分鍛え、次に、息づかいと気を練ると、次の段階の魂の稽古に入る事が出来るという事であると考える。

要は、魂の世界に入る事が神界にはいることになるが、別に神にならなくとも神界に入れるのである。大先生は、よく神界とも行き来しているとお話になっていた、これでその謎が解ける。魂の次元におられた大先生なら、自由に神界を訪れ神様との交流も出来たわけである。
また、大本教の出口王仁三郎教祖が『霊界物語』で語られているように、神界に行かれたのも、魂の修行を十分に果たし、魂の次元にあったためであると思う。

それでは顕幽神三界はどこにあるかということになる。顕界はともかく、幽界も神界も、天や地だけでなく、我々の腹中にもあると、大先生は次のように謂われているのである。
「この合気だけは小さい神さまじゃない。世界中の天津、国津の八百万の神々に、ことごとくご協力いただいております。顕幽神三界も、また我々の稽古の腹中に胎蔵しております。自分の心の立て直しができて、和合の精神ができたならば、みな顕幽神三界に和合、ことごとく八百万の神、こぞってきたって協力するはずになっております。神とは天にもあり、地にもあり、また自分の中にもある。そして時としては自分も神となり、世のためにつくさなければいけない。」(合気神髄P.58)

これで顕幽神三界は己の腹中にあり、魂の世界の稽古ができるようになれば、神界への出入りも可能になるし、天地の神々がこぞって協力してくれるはずなので、技も大いに変わるはずだと期待する次第である。