【第825回】 気・流体、柔体・固体のみそぎ

合気道はみそぎ(禊ぎ)であると教わっている。しかし、これまで分かっていたつもりであるが、まだまだよく分かっていない事が分かった。
これまでは、合気道の禊を、稽古によって汗をかき、老廃物を出すことによって体が浄くなる事だと軽く考えていた。しかし、合気道の禊ぎにはもっと深い意味があったのである。

大先生は、「真の武(合気道)とは、気の世界・気・流体、柔体・固体の世界というように、各層をすべて浄めるみそぎのわざである。」(武産合気p.89)と教えておられる。つまり、己の気、流体、柔体、固体、要は、気、体液(血液・組織液・脳漿)、筋肉・筋、骨・関節をそれぞれみそぐということである。
宇宙の気・気によって、己の気と流体、柔体、固体をみそぐのである。このみそぐとは、宇宙の気を血液に流し、肉に流し、そしてまた骨に流すことである。気を流すことによって、血液などの体液、肉、骨のかす(不純物・老廃物)が除去されて浄くなるわけである。そこがみそがれると、その部位が活性化し、働きがよくなるということである。

それでは、どうすれば宇宙の気で己の気、血液、肉、骨に気を入れ、流すことが出来るかという事になる。それも大先生は次のように、教えて下さっている。
「気体・流体・柔体・固体と四つに分ける。四つの全身各機関に対して、四つの気魂のひれぶりが必要である。この気体の気でも、大神のみ姿に神習うて人一人の姿の各部の気の稽古をして、表裏のない魂の実在のひれぶり、その霊のひびきを明らかにし、速やかに実在のもとに現してゆくまで、気の稽古をすべきである。気の稽古は至誠の信仰であり祈りであります。気を淨める、即ち肉体の血行が霊肉共に清浄に淨められ、血行を悉く宇宙に同化するウ声のみ働きを神習い、自分自身がひるこになって、神やらいにやられぬよう、真面目に人生の本能を磨き、イズノメの働きとならねばなりません。このイズノメこそ合気道のことなのです。魂線の糸筋の淨った立派な姿になるよう、この武の道になしとげてゆかねばならない。魂と血流が淨まると、肉体が立派な生きたすき通った光の肉体となる。これを創りあげなければならない。次に固体であるが、つまり骨も髄まで立派な土台として創り上げてゆかねばならない。」
長い文なので複雑であるが、簡単にまとめてみると次のようになるだろう:

気体・流体・柔体・固体をみそげば、頑強な剛の体ができるだけでなく、気というものが感得されるようになる。気で技をつかえるようにもなるということである。気で技をつかうとは、気の流れに従って体が働くという事である。初心者の技は、まず、体が動く、その後、息が続く。故に、力も出ないし、息切れをすることになる。次の段階は、息で技を掛けるようになる。息に従って、体が働く。前段階とは格段の差がある。そして、気で体・技をつかう段階に入るわけである。従って、息で技をつかう稽古を十分やっておかないと、気で技をつかうことはできないはずである。
大先生は、「日本の道を産み顕す(真の合気)は、気剛柔流、気△○□を根本として気によって技を生んでいくのをいう。」と謂われているのである。
気で技をつかうためにも、気・流体、柔体・剛体のみそぎが必要であるということである。