【第824回】 手を短刀、太刀に鍛えてつかう

合気道は剣道の動きからきていると云われるように、合気道で技をつかう手は剣をつかうようにつかわなければならない。これは以前にも書いていることであるが、これまでその稽古をしてきて、その教えの正しさを確信すると同時に、しっかりとした、刃筋が通った、名刀のような手に鍛えなければならない事を痛感する。手がしっかりしていなければ、いい技は生まれないということである。
これまで、しっかりした手とは折れ曲がらない手であり、名刀のような手でなければならないと書いた。その手をつくるために、手を、手首、肘、肩、胸鎖関節でそれぞれ名刀としてつかえるように鍛え、そして更に、それらをつなげて一本の名刀とすると書いた。
また、この名刀をつくるための鍛錬法として、有川先生が考案された“米印の手捌き鍛錬法“を紹介した。

今回は、これを踏まえて、更なる手の鍛練を記すことにする。
先ず、手は手首、肘、肩、胸鎖関節で構成されているわけであるが、これらの各々を刀としてつかうわけである。刀として手首から先をつかう場合、短刀(長さ30cm未満)としてつかえばいい。手首を支点の体として、その先を用につかうのである。次は肘から先を小太刀(30〜60cm)につかい、その次は肩から先を太刀(60cm以上)につかい、末端の胸鎖関節から先を大太刀(90cm以上)としてつかうのである。これを技に取り入れ、そして徒手の素振りでやったり、“米印の手捌き鍛錬法“で鍛えるのである。

手を鍛え、これらの手の部位を鍛えるためには、息づかいが大事である。つまり息で鍛えると云っていいほど息づかいが大事なのである。
先ずは、イクムスビのイーと吐き、クーで息を引き、そしてムーと吐いて収めるのである。これで相当しっかりした手ができるはずだし、強力な打ちになるはずである。しかし、後で気がつくのだが、このイクムスビでの手のつかい方・鍛え方は、物量的で、所謂、柔術的であると感得する。

そこで、ここから更なる手の鍛え方に進むことになる。それは息づかいをイ
クムスビから布斗麻邇御霊の運化に合わせたアオウエイの言霊でやるのである。すると、ウーとエーで十字が出来、そして気が生まれるから、ここで自分が望む手の部位の手首や肘・・・や胸鎖関節を支点の体とし、そしてその先を用につかえば気に満ちた刀になって働いてくれるのである。短刀にしろ、太刀にしろ、また、大太刀にしろ、気に満ち、気が働くので、強弱、遅速と自由自在に動けるし、引力も働くので、相手に密着することにもなる。
とりわけ、胸鎖関節から先の長い手を、これで実感できたことである。これまでは、手は胸鎖関節から手先までであるとは言ってきたわけだが、一本の長い手として機能することが実感できていなかったのである。

このように手を短刀、太刀に鍛えたら、短刀、小太刀、太刀、大太刀を持ったつもりでやればいい。素振りでもいいし、技につかうのもいい。これまで以上に、気に満ちた手や太刀になり、刃筋が通った名刀の手や太刀になるだろう。
また、居合で剣を抜いたり、杖の素振りでも、この短刀、太刀、大太刀の手のつかい方で振れば、いい鍛練になるだろう。

手、手の部位が鍛えられ、各部位を独立してしっかりつかえるようになると、技が効くようになるはずである。合気道の技を掛ける際、相手との接点・支点を先に動かしてはいけないという法則があるわけだが、これらの関節を個々に働くように鍛え、そこのカスを取るとそれが出来るようになる。例えば、二教や三教は手首を支点としてつかう典型であろう。また、片手取りの“からみ“も手首や肘をつかう典型である。
尚、二教の小手回しは、基本は、手首を体として支点とし、指先を用で回すが、肘を体とし肘先を用につかい、更に肩を体として肩の先を用としてつかうことも出来る。
これらの部位をつかうことによってその周辺のカスが取れることになる。これが合気道の稽古はカス取りだと云われる所以であろう。
手を短刀、小太刀、太刀、大太刀として自由自在につかいたいものである。