【第823回】 阿吽の呼吸

はじめは誰でも腕力や体力で技を掛けているが、ある程度の力(魄力)をつかえるようになったら、今度は息で技を掛ける。それまでの力を息に代えてつかっていくようにすればいい、と書いた。そうするとそれまでの力が息によって強化され、より強力な力が出るようになり、技も効きやすくなる。
これを大先生は、「合気はある意味で、剣を使うかわりに自分の息の誠をもって悪魔を払い消すのである。つまり魄の世界を魂の世界にふりかえるのである。これが合気道のつとめである。」(合気神髄P.13)と教えておられると思う。
また、それまでの腕力や体力で出来た表面的な筋肉に加え、息づかいによって腹中や胸中などの内面的な体づくりができる。
そして息づかいで体をつくり、技をつかうために“イクムスビ”の息づかいでやればいいと書いた。イーと息を吐き、クーと息を引き、ムーで息を吐く息づかいである。これで折れない手をつくり、技を掛けるわけである。これはそれほど難しくないのでやる気になればすぐに身に着く。
このイクムスビの重要性を大先生は、「日本には日本の教えがあります。太古の昔から。それを稽古するのが合気道であります。昔の行者などは生産びといいました。イと吐いて、クと吸って、ムと吐いて、スと吸う。それで全部、自分の仕事(注:技をつかう)をするのです。」(合気神髄P101)と教えておられる。尚、イクムスビを“昔の行者などは”と言われているわけだが、その裏には、今は違い、その上があるのだといわれているのである。

イクムスビの呼吸をつかって技をつかっていくと、段々と行きづまってくる。この息づかいでは何かが不足し、何かが必要であると思うようになるのである。そしてそこで出くわしたのが、布斗麻邇御霊の息づかいであった。この息づかいは宇宙の営み、万有万物の創造・運化と一体となる息づかいである。七つの御霊の息づかいで技と体をつかうわけだが、容易ではないことはこれまで記した通りである。しかし、布斗麻邇御霊の息づかいが出来れば出来るほど、それに従って、体は働き、技は効くようになる。まだ、不完全であるが後は更なる修業をしていけばいいと思っている。

そして今、更なる呼吸を身につけることになる。
それは以前からその存在と重要性には気づいていたが、よく分からず横に放置していたモノである。その呼吸は「阿吽の呼吸」である。これまでは、よく分からないので、只、アー、ンーで技を掛けようとしたり、剣を振ったり試みたが、どうもしっくりせず、体も心も満足してくれなかったので、放置して置いたのだが、今、不思議にもそのヒントになるものが目の前に現れてくれたのである。それは、「結局この世の行いをするのに、アウンの呼吸でなければならない。精神的にいえば四魂(奇霊、荒霊、和霊、幸霊)の行にして、物質的には、天火水地の四大活動造営なのである。この物質も精神もただ一元の御親のご所有なのである。」(武産合気P.79)である。これで阿吽の呼吸の正体が分かったし、どのようにすればいいのかも分かった。突然わかった理由は、イクムスビの呼吸と布斗麻邇御霊の息づかいをある程度身につけたからだと考える。ということは、イクムスビと布斗麻邇御霊の息づかいを身につける以前では、阿吽の呼吸は身に付かなかったということになる。

また、お陰で、これまで理解出来なかった“四魂(奇霊、荒霊、和霊、幸霊)”と“天火水地”の意味と働きも分かった。上記の教えの文にそれがすべて書かれているので、それを解釈してみることにする。

真の合気道「武産合気」は、アウンの科学によって出てくるのである」(武産合気P81)と大先生は教えておられるわけだから、真の合気道を身につけるなら、阿吽の呼吸を身につけなければならない事になる。
その為には布斗麻邇御霊の息づかいを身につけなければならないということになる。故に、阿吽の呼吸は容易ではなかったわけである。