【第822回】 素晴らしい人体
合気道は技を錬磨して精進していく武道である。いい技を生み出すためには体を上手くつかわなければならない。体を上手くつかうためには、宇宙の営みに則ってつかわなければならない。布斗麻邇御霊とアオウエイの言霊で体をつかっていくのである。
しかし、この稽古をしてくと、まだ何かが欠けている感じがしてくる。
それは上手くつかおうとしている体・人体のことがよく分かっていないことである。つまり、分かっていない人体をつかおうとしているわけだから可笑しいわけである。
そんなことで、人体の事を知らなければならないと思っていると、『素晴らしい人体』(ダイヤモンド社)に巡り合った。この本の趣旨は、「人体は本当によくできていて、美しく、神秘的だ。だが、これらの現象は、自然界で普遍的に起こりうる化学反応の連鎖によるものだ。何か特別な、目に見えない超自然的な力を信じたくなるほどよくできたしくみが、実は化学や物理の法則によって説明できる。」とある。
合気道家なら共感できる考えであろう。人体を合気道の技と置き換えて考えればいい。
そこでこの『素晴らしい人体』で、人体・体をどのように捉えているのかを見てみたいと思う。文量の関係もあるので、特に、合気道に関係のある体・部位の箇所を取り上げてみることにする。
また、著者の人体の説明(太字)に加え、合気道ではそれをどのようにすればいいのか、しているのかを書いて見た。(斜体)。
- 「私たちの体を構成する「部品」は、それぞれかなりの重量を持っている。体重が50kgの人であれば、頭は5kg、足は一本当たり約10kg、腕も一本4〜5kgほどあり、意外なほどずっしり思い。私たちは日頃、自分の「部品」の重さを自覚することがほとんどない。これほど重いものを毎日「持ち運んでいる」にもかかわらず、意外にそのことに気づかないのだ。」
合気道では、体と部品は重くも軽くもつかわなければならない。空の気と真空の気の気をつかうのである。手を上げる場合、ただそのまま力で上げれば重いが、手に気を流せば軽くなる。また、気で重くすることもできる。
- 「頭を左右に振っても、意外に視野はぶれないのだ。耳の奥にある前庭や半規管という器官が頭の動きを感知し、瞬時に逆方向(打ち消す方向)に眼球を回転させ、視線のブレを防いでいるのだ。こうした反射は、意図とは関係なく常に行われているため、私たちはそのありがたみに気づきにくい。」
受け身で転がっても視野がぶれなかったり、ふらつかないのはこのおかげなのだろう。
- 「頭からの流血は必ずしも致命的とは限らない。なぜなら、頭皮は特に血が出やすい部位だからだ。頭皮には細い血管が多い上に、頭皮のすぐ下に堅い骨があるため、打撲だけでも皮膚がダメージをうけやすい。また、タンコブも多くの場合は命にかかわらない。本当に怖いのは、頭蓋骨の中の出血である。」
これまでは頭から流血があるとびっくりしたり、心配したがこれで安心できる。
- 「心臓は、安静時に毎分約5?の血液を送り出す。体全体にある血液の量は、成人でおよそ5?である。つまり、一分間で血液が全身を一周ということだ。この量は運動時に大きく変動する。最大で毎分約35?まで拍出量を増やせる。収縮する力だけでなく、拡張する力も大切なのだ。」
合気道では、イクムスビや阿吽の呼吸、布斗麻邇御霊とアオウエイの言霊によって、心臓からの血液拍出量の拡張が図られている。稽古によって、この血液の循環がよくなるから、健康にもいいことになる。
- 「呼吸は、ほとんど「自動」で、しかしある程度は「手動」でコントロールできる。肺で空気の出し入れを行っている。だが、肺そのものに膨らむ力があるのではなく、肺は単なる風船のようなもので、それ自体が変形する力を持っているわけではない。つまり、肺自体が「自力で」大きさを変えるのではなく、胸腔内の気圧に合わせて肺が自然に膨らんだりしぼだりしているのだ。」
合気道においては、胸中に縦横十字の息(気)を満たし、潮干の玉(白玉)をつくることで肺を膨らまししぼめることになる。ウーからエーで息(気)は自動で胸中に入るが、更に手動で息を満たしている。
- 「人体には生存に影響を与えない範囲内で「遊び」がある。胃や肝臓の大きさ、小腸や大腸の走行、血管の太さは人それぞれ違う。外観と同様に、臓器にも健康に生きるという目的を果たせる範囲内で個性があるのだ。」
合気道の稽古はこの遊びをつくり、拡大することでもあると思う。
また、同じ技の形でも人によって皆すべて違うのはこの個性的な臓器にも関係するのだろう。
- 「肛門は、精密機械のようによくできた臓器である。「降りて来たのは固体か液体か気体か」を瞬時に見分け、「気体のときのみ(おならとして)排出する」という高度な選別ができるからだ。固体と気体が同時に降りてきたときは、「個体を直腸内に遺したまま気体のみ出す」という芸当もできる。」
これからの稽古でも肛門が正常に働いてくれるように大事に扱い、感謝しなければならないと思ったしだいである。
- 「陰茎ほど、容積が大きく変化できる臓器は他にない。副交感神経はリラックスしたときに働く神経である。一方、交感神経は緊張感が高まったときに働く、つまり、緊張や恐怖を感じた時には勃起は起こらないのだ。」
合気道で体をつかう際は、気で体や部位をみたさなければならないので、副交感神経でリラックスしなければならない。そのために布斗麻邇御霊で宇宙の営みと一体化しなければならないと考える。稽古相手を敵と思えば、交感神経が働くから注意しなければならない。
- 「温度覚や痛覚、触圧覚は、情報の受容器が主に体表面にある。一方、深部感覚の受容器は骨の表面や関節、筋肉、腱などにある。この受容器が受け取るのは、関節の曲げ伸ばしの程度、筋肉の収縮・弛緩の具合、それぞれの位置に関する情報である。これらの情報を、脊髄を通して脳に伝えることで、私たちは自分の体の位置や姿勢を認識しているのだ。」
合気道で技を掛ける際、目で見て情報を得たり、判断するのではなく、体の深部感覚、つまり、目に見えない体感によって行わなければならないということだろう。
- 「太い神経や動脈は、その多くが体表面から離れた深いところを通っている。その例外の典型的なのが手首であるが、体の中には動脈が浅い所を通っていて、表面から脈を触れられる部分が幾つかある。代表的なのは、首、脇の下、肘の内側、膝の裏、脚のつけ根、足の甲などである。」
過っての敵を倒す武術では、この動脈が浅い所を通っている箇所、つまり敵の弱点を攻めたわけである。合気道では、逆に、これらの危険な箇所にダメージがないように注意して稽古をしなければならない。そのためにも、これらの浅いとことにある動脈の箇所を知っていなければならないことになる。
- 「かって、すり傷や切り傷はまず消毒するのが当たり前だった。だが、近年は、消毒液が傷の治りを悪くすることがわかり、よほどのケースを除いては傷を消毒しないのが当たり前になった。水道水でしっかり洗い、砂や泥などの異物を丁寧に洗い流すだけで十分である。皮膚には細菌が常に存在し、私たちと共生している。消毒した瞬間には細菌を死滅させられても、その後に周囲の最近が傷に入り込むことまで防げない。むしろ、定期的に傷をしっかり洗浄することのほうが大切なので。」
これまですり傷や切り傷は消毒するものと思っていたが、その必要がないわけである。皮膚の働きと力を信じることである。
まだまだあるが文量の関係でこれまでとする。この素晴らしい人体、摩訶不思議な人体は奥が深く、まだまだ研究しなければならないだろう。合気道の教えでは、「宇宙と人体とは同じものである」であるからである。
参考資料 『素晴らしい人体』(山本健人著、ダイヤモンド社)
Sasaki Aikido Institute © 2006-
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