【第822回】 言霊とは

これまでも言霊について何回か書いたが、今回もまた挑戦することにする。その理由は、言霊が些かであるが分かって来たようだからである。これまでは、言霊について書くには書いたが、第三者の解説であったと思う。大先生の教えをただ抜き出して書いた、頭の中での言霊だった思う。
今回は、己自身が実感し、実践して心と体が教えてくれる言霊で、以前よりも前進したと思う。そこで今の己の言霊観を書いて見たいと思った次第である。

今回のこの言霊論文を、<言霊とは><合気と言霊><言霊のつくり方・生み方><言霊の働き>に分けて書くことにする。独善的に走らないように、いつものように、大先生の教えに叛かないよう書くために、大先生の教えをその土台として引用することにする。そしてその大先生の教えを解読すると同時に、己の考えを書くことにする。(*、斜字

<言霊とは>

<一般的な言霊観> 参考のために書く。
昔は、言葉によって、物事が変化する、という言霊信仰をもっていた。言霊は単語、または一音にあるように、古く神道家は解いていたが、文章あるいは、その固定した句において、はじめてある事実である。文章に霊妙不可思議な力がある、という意味からして、それが作用すると考え、さらに神の言葉に力があるとし、今度は語の中に威力が内在している、と考えた。それを言霊と言い、その威力の発揚することを、言霊のさきはふ(さちはう)と言うた。(折口信夫)


<合気と言霊> <言霊の生み方・生まれ方> 最後に、言霊の働きについて、大先生の教えを記す。

<言霊の働き> 言霊を避けて精進することは出来ないようだ。言霊を研究し、身につけていかなければならない。