【第821回】 昨年一年を振り返ってみて

年初にあたり、今年をどのように過ごしていきたいのかを考える前に、昨年(2021年)一年どのような年だったのかを振り返ってみることにする。
前から書いているように、日常の生活は、合気道が主体であるので、合気道の修業で何が、どう変わったのかをみればいいと考える。そこで昨年一年で、己の合気道がどのように変わったのかを拾い上げていくことにする。私の場合は、論文を書いているので、それをピックアップすればいい事になる。

まず、最大の出来事は布斗麻邇御霊の教えに出会い、その教えに挑戦した事である。もしこの布斗麻邇御霊に出会わなければ、私の合気道は行き詰っていたに違いないし、先に進めないはずだと思うからである。布斗麻邇御霊によってアオウエイの言霊の働きや重要性がわかったし、更に、これまで体主体でかけていた技を息、そして気で掛けるように変わってきた。そして更に赤玉、白玉、青玉が生まれることも体感できるようになった。これは、『合気道の思想と技』を見れば分かる。

これらは思想面で変わったことであるが、身体的にも大きく変わった。
これまで腹や胸や手や足を鍛え、合気道の体につくってきたが、昨年は、更に胸から肩、手先、指先、親指、また、足から股関節、足先、足の親指まで鍛え、つかうようにしたことである。体の中心から末端の部位に鍛錬と使用を移動したということになる。これは、『合気道の体をつくる』を見れば分かる。

次に、これまで顕界の物質科学で技をつかっていたのを反省し、目には見えない幽界で、息や気で技をつかうべく変わったことである。まだまだ不完全ではあるが、このやり方の方向性に間違いない事を実感した。これは『合気道上達の秘訣』を見れば分かる。

最後に、『高齢者のための合気道』に書かれたことから、己がどのように変わったのかを見てみることにする。
先ず、昨年2021年4月に80歳になったわけであるが、以前から80歳を己の節目と考えていた。別に理由も根拠もないのだが、そう思っていた。そうしたら、思った通り変わったのである。精神的と肉体的に変わったのである。肉体的には悪い方向に、そして精神的にはいい方向に変わったと云っていいだろう。肉体的には、それまでのように飛び跳ねたり、転がったりすることは困難になったし、酒も飲まなくなった。要は一般的に云われる、年を取ったということである。しかし、お陰で日常の生活をおくれる体の有難さに感謝するようになった次第である。
だが、精神面では、これまで見えなかったモノが見えるようになってきたし、真や善や美には感動するようになった。感動すると涙が出るほどである。そして感動を求めるようになったようである。モノや力には感動しないが心に感動するのである。絵でも、目に見える姿象ではなく、そこに描かれているモノや描いている人の心に感動するのである。故に、合気道の技も感動するものでなければならないと思うようになった。これが大先生の言われる“魂のひれぶり”であると思うようになったのである。技には魂のひれぶりがなければならないということである。
日常の世界でも感動を求めるようになった。感動を受けるモノや人には魅かれるようで、そのひとやモノの本を読んだり、記事を見たり、テレビや展覧会を見るようになったのである。これまでは無意識の内にやっていたわけだが、昨年は感動のためにやろうとしていたということが分かったのである。この感動を書いてきたのが『高齢者のための合気道』である。

これを基に、今年2022年もやっていきたいと思う。その基本は、健康を維持することであるが、更に、気のさらなる研究から魂へ、合気道の体を更なる深部、細部までつくること、言霊の研究、目に見えない幽界を更に奥に進み、出来れば神界に出入りすることなどに挑戦してみたいものと考えているところである。