【第821回】 爪先をつかう

合気道の稽古で技と体をつかっていくと、人間の体の仕組みの緻密さ、働きの不思議さに驚き、驚愕、驚嘆する。誰が、何が人の体をこのような仕組みにし、機能させるようにしたのか、唯々驚き、そして感謝している。
技をつかう際、体の部位の働き、例えば、手ひとつ見ても、縦横、十字、円、伸び縮み、収縮膨張や、骨のつかい方で動作を止めたり、伸ばしたり、また、重い物を持つような力を発揮することもできるのである。
また、部位と部位との密接な関係に驚き、驚嘆する。例えば、腹を十字に返す場合、腹を足先の方向に向け(横)、腹を足に上にのるようにする(縦)と、腹の面と足の方向が十字になるわけで、腹と足は横にも縦にも密接に繋がっていると感じられる。そしてこれが感じられると、体をつかう場合は、先ず腹が動き、その次に足、そして手が動くという順序の関係が出来る。

この腹の十字はこれまで書いてきたことであるが、更なる腹の十字を記す。
この腹の十字から更に爪先で、柔軟で、強力で、動きが途切れない十字をつくるのである。
爪先(足指)に働いてもらうと、体(腹や手)は①開き、返り、②前に出、進み、そして③締まる、収まるのを実感するのである。

前の腹だけの動きに比べると、爪先(足指)を駆使する場合、螺旋の動きになり、途切れず、そして柔軟な動きが出来るようになる。爪先をつかわない場合は、ゴツゴツした、動きが途切れる、剛の動きになるようである。
正面打ち一教の場合でも、爪先をつかう、つかわないでは、大きな違いが出るし、片手取りや諸手取呼吸法でも、爪先をつかわないと十分な力が出ないし、円の動きにならず、動きが止まったり、止められてしまうことになる。

爪先をつかうためには息のつかい方が大事である。イクムスビの息づかいでも出来るだろうが、やはり布斗麻邇御霊の形象をアオウエイの言霊でやるのである。息づかいで腹や胸が十分鍛えられれば、息の代わりに気が働いてくれるようだから、気で爪先をつかえばいい。

技の錬磨で爪先をつかい、爪先を鍛えていくのがいいが、普段の稽古以外でも鍛えることが出来る。例えば、剣の素ぶりである。爪先をつかうとつかわないとでは歴然とした違いが出るものである。また、杖の素振りも爪先を意識してやればいい。さらに、日常、歩く時も爪先を意識して歩けば、爪先は鍛えられる。