【第820回】 楽しむ者に如かず

久々に『論語』にある『子曰く、これを知る者は、これを好む者に如かず。
これを好む者は、これを楽しむ者に如かず』に出会った。合気道を長年修業してきたわけであるが、この言葉の意味する事が実感できたようなので記しておきたいと思う。

『これを知る者は、これを好む者に如かず。これを好む者は、これを楽しむ者に如かず』は合気道の修業に於いても言えることである。合気道の上達の面でも、生きる上でも的を得ていると思う。
この論語の言葉は三段階で構成されている。1.知る者、2.好む者、3.楽しむ者である。これは、知る事、好む事、楽しむ事とも云える。
合気道でこれを解釈してみたいと思う。
まず、知る者、知る事である。合気道では、合気道というモノを知り、そして技(形)を知っていくわけだが、これが上達につながっていく。上達の状況・段階は低レベルであり、この段階で名人、達人は出ない。

次の好む者、好む事である。合気道の利点や素晴らしさを知り、合気道が好きになっていく段階である。この段階で合気道は大分上達することになる。これを、「好きこそものの上手なれ」と云われているはずである。

三つ目の楽しむ者、楽しむ事である。合気道では、楽しむ者と楽しむ事が一体化し、絡み合い、楽しむ者が楽しむ事になり、楽しむ事が楽しむ人になるような段階である。しかし、この段階に入るのは容易ではないはずである。
合気道を真から楽しむためには、合気道の目指すモノ、その目指す方法が分からなければならないと考えるからである。合気道は地上楽園建設の生成化育が目標であり、その為には、宇宙の営み・法則に則った技を身につけて、宇宙と一体化しなければならないからである。これを確信できなければ、合気道の楽しさは分からないはずである。

因みに、知る者、好む者、楽しむ者と、知る事、好む事、楽しむ事の関係を見てみると:

知る者・知る事: 知る人と知るモノとは距離があり、別々にある 離れている
好む者・好む事: 好む人と好む者は一方的。好きといって近づいても受け入れられるかどうかはわからない。男女の関係を考えれば分かり易い。
楽しむ者・楽しむ事: 楽しむ人と楽しむモノは一体化

となるだろう。
合気道も何事も楽しむことができるようになれば、上達も早くなり、更に楽しくなるということであるから、何事も楽しみたいと思った次第である。
「子曰、知之者不如好之者、好之者不如楽之者」