【第820回】 魂の比礼振り

これまで「魂の比礼振り」には何回か挑戦して、当該論文に書き残しているが、まだまだ不完全で満足できるものではない。
魂の次元に入ろうとしているので、魂について研究をしているが、有難いことに、少しずつ魂の解明に近づいているようだ。

魂そのものを直接攻略するのは困難なようなので、その周りからも攻めることにしている。
不思議な事に、魂に関して何とかならないかと悩んでいたら、突然、助け船が現われたのである。これはこの度の“魂”だけでなく、以前からよくあった事である。悩んだり、行きづまったりしていると、偶然にも助け船が現われるのである。その連続である。お陰で、この論文も続いているわけである。従って、この論文は自分が書いてはいるが、自分だけで書いているのではなく、多くの現在や過去の方々、また、顕界だけではなく、幽界や神界の方々にもお世話になっているわけである。

今回の助け舟は、「高齢者のための合気道 『第817回 本物の音楽』」で書いた、全日本合唱コンクール10連続金賞で特別賞の高校顧問大竹隆さんの「本物の音楽」の“本物“のお話であった。大竹隆さんは「本物とは魂の揺さぶりだと思う。歌う人も聴く人たちも。何だか涙が出るとか、救われるなあと思うような、そういうものが本物でしょうか」と云われているのである。
そしてこの“本物“の”魂の揺さぶり“こそが、合気道での「魂の比礼振り」であると思ったのである。

合気道は、真善美の探究、知育徳育体育常識の涵養、正勝吾勝勝速日を宇宙の永遠の生命と同化するなどの修行であるが、これらが極限まで達すれば”魂の揺さぶり“が生じるということでないかと考える。
これを達成したり、更に次元が上がれば己の魂は揺さぶられるわけだから、これらを大事にし、修業を続けなさいということになろう。
また、魂の揺さぶりがあるものは、己だけでなく、他も揺さぶられることになり、揺さぶりと揺さぶられがあることになる。これが、合気道には相手がいるが、相手はいないということにもなるわけである。

人は有史以来、この魂の揺さぶり、揺さぶられを求めて生きているように思う。合気道の魂の比礼振りである。合気道のこの魂の比礼振りを求めて、人は修業に励んでいるはずだ。
また、魂の揺さぶり、魂の比礼振りは誰でも求めていると思う。人はこのために生きていると言ってもいいように思える。魂の揺さぶりとは感動である。いい驚きであり、感激であり、摩訶不思議の驚愕であろう。合気道である技が上手くできたとき、これまで出来なかった体の動きが出来た時などに魂の揺さぶりがある。この感動は、出来たということもあるが、それよりもこれは本物だ、よくぞこれをやったなというところからくる感動だろう。
また、合気道以外の日常生活でも、人は魂の揺さぶりを期待し、求めていると思う。誕生日を祝ったり、美味しい食事をつくったり食べたり、観劇したり、紅葉を見に行ったり、山や森を散策したり等はその感動を期待しているはずである。

合気道はこの魂の比礼振りで己の魂の揺さぶりが生まれ、相手にも魂の揺さぶりが生じるように稽古をし、修業をするのだと考える。勿論、魂の揺さぶりは、先述のように、音楽の世界にもあるわけだから、合気道の専売特許ではないが、合気道を修業することによって、この魂の揺さぶりの意義や生じさせる方法などが分かり易く、やり易いのではないかと考える。

これで少し“魂”に近づいたようだ。魂は心と違うが、謂うならば、純粋な心ということであり、宇宙の心であろうと考える。宇宙と一体となって、宇宙の心の魂と己の純粋な心(己の魂)が揺さぶられるのが本物ということになる。
合気道でこの魂の比礼振りが生じれば本物ということになるから、本物の合気道になるようにしなければならない。己の魂の揺さぶりが生じ、一体化した相手も、そして宇宙も魂が揺さぶられるようにしたいと思っている。

参考資料 朝日新聞 「ひと」『全日本合唱コンクール10連続金賞で特別賞 高校顧問大竹隆さん』2021.11.29