【第819回】 80歳になって変わったこと
以前から書いていたように、80歳(傘寿)を自分の人生の節目にしてきた。80歳で何かが変わるし、変わらなければならないと思っていたからである。勿論、具体的ではなく、ただ漠然とそう思っていただけである。
80歳になってまだ一年未満であるが、その何かが変わった事は確かである。そして予想通り、80歳は己の一つの大きな節目であり、転換期であることを確認することになった。その変わった事を書いて見ることにする。
- <日常生活と合気道の関係>:
80歳で変わったことには、己の一般的な日常生活と合気道があるが、合気道も日常生活と表裏一体になってきており、これまでのように別物ではなくなってきた。つまり、日常生活は合気道の教えに基づいて送り、合気道は日常生活の一部として精進していくことになる。
この関係の変化が他の変化の基になると考える。
- <体調の変化>:
80歳の秋から禊ぎの後の水浴びをしなくなった。これまでは夏は勿論、真冬でも禊ぎの後には水を浴びていて、ここまでが禊ぎであったが、急に浴びる気がしなくなってしまったので止めることにした。
これを機に、80歳以降は何事も無理をしない事にした。
80歳になると、時として体がふら付くことがあった。酒も飲んでいないのに、酒に酔ってふら付くようで、これで合気道はおろか、人生も終わりかと心配した。しかし、問題には必ず原因や理由があるわけだから、いろいろ考えてみると、この現象は高血圧であり、そしてその高血圧の原因は塩分の取り過ぎであると判断した。お陰でふらつきも無くなり、もとの体調に戻っているようである。そしてこの体調を保つために、塩分を控えるように努めているし、折々、血圧を計ることにした。体調保持が重要であることを再確認した次第である。
- <心の変化>:
以前からその傾向はあったようだが、80歳になった今は特に、モノへのこだわりが少なくなっている。邸宅、車、名刀等々興味はないし、くれると云われてもお断りするはずである。故に、不必要なモノは買わないし、本当に必要なモノしか買わないようになった。
モノに対する欲は消えていく反面、心を大事にするようになったようだ。心は己自身の心と他人の心である。己が望む心や判断した心に従うことである。モノや外野の声に惑わされず、己の心が発する声に従うことである。これは合気道の技の修練の際も同じである。己の心を信じれば、其の心は、いろいろと教え、導いてくれるのである。80歳になるとこんなことも分かってくるようである。
80歳になって急に感動する事が多くなったように思う。これまでも映画やドラマで感動し涙を流したり、鼻水をぬぐったりすることはあったが、最近は、音楽を聞いたり、美しいモノや純粋なモノを見ても感動するようになった。音楽はよくわからないが、自分としては自分を感動させてくれるのがいい音楽であり、いい演奏であると思っている。いい演奏には涙が出るほど感動している。本や新聞の文章を読んでも然りである。合気道では真善美を目指しているが、至真至善至美が人を感動させるからであろう。
とりわけ依然と違うのは、幼い子供たちの姿やしぐさ、話しである。中学生、高校生、大学生や若者達の一生懸命になっている姿や行動には取り分け感動する。この感動から、これらの幼児や若者たちのためにもいい世の中をつくり、残していかなければならないと思うようになった。因みに、若い頃は、幼い子供や若者はうるさい存在だとして、敬遠していた。
- <合気道の変化>:
80歳になってようやく、魄からの脱出した修業に入らなければならないと悟った。以前からそうは思っていても、どうしても魄の力に頼ってしまって稽古をしていたが、80歳になって何とかしなければならないと、真剣にするようになった。つまり、魄力の稽古では満足できなくなったのである。お陰で、今では、腕力だけではなく、腕力(魄)を土台にし、息(呼吸)で技を掛ける、そして気で技を掛けるようになってきた。これを続けていけば、魂がつかえるようになるだろうと期待しているところである。
時間がかかったが、ようやく合気道の目標がわかってきたし、その為にやらなければならない事も分かってきた。合気道の目標は大きく二つある。人類や地球・宇宙のための大乗の目標(地上楽園建設)と己自身のための小乗の目標(宇宙との一体化)である。また、その目標達成のために、宇宙の営みを形にし、宇宙の法則である合気道の技を錬磨するのだということである。これはやはり80歳ぐらいまで年を取らないと難しいと思っているところである。
- <時間的感覚>
毎日がどんどん早く進んでいく感じがする。一日があっという間に過ぎ、そして一週間、一か月、一年があっという間に過ぎていく感じである。ぼやぼやしていれば、一日などあっという間に終わってしまい、その一日を後悔することになる。若い頃ならまだ後が十分あるが、年を取ってくると残り少なくなるので、一日々々を大事にしなければならない事になる。
充実した日々を送るためには、日々毎日やるプログラムとその日のプログラムをつくり、遂行するのがいいと思う。勿論、日々毎日やるプログラムには、食事の他に禊ぎが入るべきだ。
お陰で、私の日々はプログラムで忙しいが、一日、一週間・・・が過ぎていく速度は速くなっているように思う。
文量も増えたので、今回はここで打ち切ることにするが、こんなところが80歳の傘寿になって変わったことと自覚しているところである。
81歳の来年がどのように変わって行くのかが楽しみである。
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