【第819回】 天之浮橋に立つ

最近は、布斗麻邇御霊の象で技をつかうようにしている。そしてこの布斗麻邇御霊で技をつかわなければ、真の合気道の技は生まれないことを確信した。勿論、まだまだ未完成である。更に修繕し、追加しながら改善して技の稽古をしていかなければならない。

今回の主題は「天之浮橋に立つ」である。何故、これが主題として出て来たのかというと、布斗麻邇御霊だけでは技が上手くつかえず、何かが欠けているような気がしていたからであり、そして「天之浮橋に立つ」がその欠けているものではないかと思ったからである。
大先生の教えに「合気道は、どうしても「天の浮橋に立たして」の天の浮橋に立たなければなりなせん。:・・・。またほかに何がなくとも、浮橋に立たねばならないのです。」とあるのを思い出したのである。つまり、布斗麻邇御霊で技をつかう前に、天之浮橋に立たなければならないということなのである。これまで、天之浮橋に立つことを忘れ、無視して技をつかっていたために、喩え布斗麻邇御霊でやっても上手くいかなかったわけである。

「天之浮橋に立つ」「天之浮橋」とはどういうことかをおさらいすると、
<縦と横の十字>
「ウ」は浮にして縦をなし、「ハ」は橋にして横にして横をなし、二つ結んで十字、ウキハシで縦横をなす。
<天と地の和合>
左足を軽く天降りの第一歩として、左足を天、右足を地としてつき、受けることになる。これが武産合気の「うぶす」の社の構えであります。天地の和合を素直に受けたたとえ、これが天の浮橋であります。
<天にも地にも偏しない>
天之浮橋に立ったおりには、自分の想念を天に偏せず、地に執(つ)かず、天と地との真中に立って大神様のみ心にむすぶ信念むすびによって進まなければなりません。そうしませんと天と地との緒結びは出来ないのです。
<魂と魄の十字>
天の浮橋は、丁度魂魄の正しく整った上に立った姿です。これが十字なのです。これを霊の世界と実在の世界の両方面にも一つにならなければいけない。
<火と水の十字>
天の浮橋とは、火と水の十字の姿である。
<対照力>
天の浮橋と申すのは、火と水であります。対照力によって各々二元の働きが出来る。対照力の起こりである。対照力によって天の浮橋が現れる。
これらは以前にも書いたので、説明は省く。

更に「タカアマハラ」の一語一語にも重要な働きが次のようにあるという:
「かくしてタカアマハラのタの対照が生まれる。カで内部の光が輝いてくる、アとは神霊顕障宇宙全くはりつめるのです。マとは全く張りつめて玉となることをいう。またこの極微点の連珠糸となす。次に神霊元子が活気臨々として活動している気を称して、ハというのです。ハは活気臨々、至大照々というのです。またその造化器が運行循環しつついる気を称してラという。即ち循環運動のことである。」(武産合気P.65)
これを簡単にまとめて下記の表にして下さっている。

対照力
掛け貫く力
神霊顕彰、而して宇宙也
全く張りつめたる玉
神霊活気臨々、至大きき
循環運行

このタカアマハラに立つとどうなるかというと、次のようになるようだ。
で上下左右前後と対照力を生み、その対照力に活力を与える。タでタの言霊・気が天と地に達し、結び天地の対照力を生むのを感得できるが、他の言霊、例えば、アでもカでも・・・この対照力を生むことは難しいように思う。タで天地の対照力を生むことが自覚出来れば、前後左右も自覚できるし、次のによって更に自覚できるはずである。
でアの対照力に気を入れ、気に満ちた対照力にする。
は、アで神霊を感じ、宇宙を感じるということだと考える。
で神霊、気で張りつめた玉を自覚する。
で、マの玉が活気臨々と至大に膨らむ。
で、ハで至大に膨らんだ玉は循環運行をはじめる。

技をつかう前にこのような準備・容易、つまり、「天之浮橋に立つ」事が必要であったわけである。例えば、身体は気に満ちた玉になっていなければならないとか、その玉の身体は活気臨々としていなければならないとか、いつでも循環運行できる用意が出来ていなければならないという事である。
勿論、布斗麻邇御霊でやらなければならない。大先生はこれを、「合気は天の浮橋に立たされて、布斗麻邇(ふとまに)の御霊、この姿を現すのであります。これをことごとく技にあらわさなければならないのであります。」(合気神髄P.153)と云われておられるのである。
布斗麻邇御霊の研究だけでなく、天之浮橋に立つ研究、そして天の浮橋に立たされて、布斗麻邇(ふとまに)の御霊の姿を現す研究をしなければならない。