【第818回】 魂の揺さぶりに向かって

傘寿の冬を迎えた。人によって違うと思うが、自分が80歳になって、これまでとは大きく変わったと実感した。
肉体的には筋力や体力がどんどん衰える。どんどんというのは、これまでの若い頃の指数的な衰えではなく、指数関数的な衰えである。従って、肉体的な現状維持や増強を図るためには、若い頃の指数的な鍛錬に対し、指数関数的な努力が必要になる。しかし、これには限界があることも分かってくる。限界まで努力をしても、肉体的な衰えを避ける事が不可能であることを実感するわけだから、それを受け入れることになる。これが自然の法則であり、宇宙の法則であると悟るわけである。

しかし、精神的には、年を取ったから肉体のように衰えるという事が無い事が分かってくる。そして、この精神的な向上によって、肉体的な衰えをある程度までカバー出来る事、すべきことを悟ることになる。勿論、肉体的衰えが極端に酷ければ話は別であるから、肉体は最後まで磨かなければならない事になる。

このような肉体的及び精神的な状況で生活し、合気道の修業をしているわけだが、何を目的に、何を楽しみに生き、修業をしているのかを更に考えてみた。これも傘寿になった事に関係するのだろう。
これまでは漠然と、己と宇宙との一体化、そして宇宙・地上楽園建設の生成化育のために稽古をし、生きていると言ってきた。しかし、まだ漠然とした不完全な答えである。もう少し、具体的で自分も他人も納得できる回答が必要である。それは合気道の教えにも日常の生活にも、そして過去にも現在・未来にも通用するようなものでなければならない。宇宙の法則ということである。

それで出た答えは、「魂の揺さぶりを求めて」である。合気道の魂の比礼振りを求めて」である。
人は日常生活で「魂の揺さぶりを求めて」生きているように思う。簡単に言えば、感動することであり、感動させることである。ドラマでも映画でも音楽でも、感動するため、「魂の揺さぶりを求めて」参加するし、これらを作成・演じる側は、感動させるよう、魂の揺さぶりを起こすように願っているはずである。そして魂の揺さぶりが起こるものは“本物”として評価されるわけであり、誰もが本物に接しよう、本物にしようと頑張っているわけである。美味しいモノを食べる、山や海に行く、外国に旅行する、恋をする等‥皆同じであろう。

同様に、合気道の修業も「魂の揺さぶりを求めて」やっていると云える。これは、合気道で云う「魂の比礼振り」を求めてということになるはずである。
それまで見えなかったモノが見えてきたり、分からなかったことが分かったり、出来なかった技が出来たりしたときの感動を求めて修業をしているわけである。感動するためには、本物でなければならないわけだから容易ではないが、だから修業なのである。

さて、冒頭、80歳になって、これまでとは大きく変わったと書いたが、一番変わったと思うことは、魂の揺さぶりに向かって生きよう、修業をしようとなった事である。お迎えがその内にくるわけだから、残りの生活と修業を大切にしなければならない。そのためには、本物に接すること、そして本物を生み出すことと考えている。