【第816回】 手先は足先に向く

合気道の技を見ていると、同じ技をつかっているのに、つかっている人によって皆違う。その理由は二つあるだろう。一つは、誰一人同じ人はいないからである。これを性(さが)という。技を性に結ぶことによって、性の技が生まれるからである。二つ目は、実力、技量の差である。上手、下手の差である。
合気道はこの性と技量を向上させるものである。性の向上は、例えば、真善美、正勝、吾勝、勝速日の探究であり、技の向上は日ごろやっている稽古である。
故に、技が上手くなるためには、技を磨くことは勿論であるが、性、人格の向上によっても実現されることになる。だから、合気道の世界だけでなく、別の世界ででも研究し、学ばなければならないことになる。

さて、合気道の稽古人は誰でも技が上手くなりたいと思っているはずである。少しでも上手くなったと感じたり、思えれば嬉しいはずである。これが稽古を続ける主な原動力であると考える。
しかし、最大の問題は、どうすれば技が上手くつかえるようになるのか、上手い技を生み出すことが出来るのかが分からない事である。はじめの内は、稽古をやれば自然と上手くなるものだと思っているし、実際、そうなのだが、ある程度の段階にくるとそうでない事が分かってくる。が、それではどうすればいいのかが分からないのである。

このどうしていいのか分からないのには原因があり、そして解決法もあると考える。簡単、明瞭な事である。その原因を簡単に云えば、魄に頼った稽古である。そしてその解決法は、魄から魂の稽古に変わることである。但し、魄の稽古から、魂の稽古に入るのは、魂がまだ分からないはずなので難しいので、まずは、息で技を掛ける稽古、次に、気で技をつかう稽古に移る事である。これをしない限り、技の上達は無いだろうし、終いには体を壊し、そして心も病むことになるだろう。

今は気の稽古に入っている。これまで見えなかったモノが見えてきて、合気道がますます楽しくなり、また、合気道の奥深さ、繊細さ等に日々感激しているところである。
今回は、直近のそれを記すことにする。また、この感激を記しておかないと忘れてしまうかもしれないので、残したいこともある。

それは、本日のテーマの「手先は足先に向く」である。手先は足先が向く方向に一致するという法則である。正面打ち一教、片手取り呼吸法、正面打ち入身投げ、剣の素ぶり、居合などで、この法則でやっているが、これでやると上手くいくし、また、そうしないと技にならないのである。恐らくどの合気道の技にも通用するはずだと思っている。

下の写真は、有川先生の正面打ち一教の形と大先生の形である。百聞は一見に如かずである。

この三枚の写真の手先と足先は同じ方向を向いていることがわかるだろう。
この写真は上記の左端の体づかいの不味い例の形を示して下さったものである。
最後に大先生の形の写真を示させて頂く。
手先は足先に向くは法則である。