【第815回】 己の気と宇宙の気を合す

合気道は技を練り、技を生み出して精進していく武道であるから、技をどのように練り、そして技をどのように生み出していくかが重要になる。
従って、只、やみ雲に稽古を繰り返していけばいいわけではなく、やるべき事があり、それをやらなければならない事になる。

これまでで、魄の力では技(真の合気道の技)は生まれない事はわかったし、魂の力をつかわなければならないわけだが、残念ながらまだ魂がよく分からない。そこで魄と魂の間にある気の力をつかうべく、気の研究をしているわけである。
今回は、真の技を生み出すために、己の気と宇宙の気を合わさなければならない事を研究してみたいと思う。

「己の気と宇宙の気を合す」ということは、己の気と宇宙の気と合気するということであり、宇宙との一体化ということになる。これを大先生は、「合気では、自己の気と、この宇宙と一体になる。・・・合気というものは、宇宙の気と合気しているのである。」「天地の気と気結びすることである。合気では、自己の気と、この宇宙と一体となる。」(合気神髄 P.172)と教えておられる。

まず、己の気について研究してみよう。気は誰でも有している。大先生もいわれるように、気が身体を崩れないように保っているからである。しかし、この気の量(力)と質は人によって違いがある。関取や名人・達人の武道家、大業を果たしている人とかの傍にいるとそれを感じるはずである。これは本人たちの日常状態の気である。
これに武道の稽古や勝負の次元に入った時の気があり、日常状態の気にプラスされるはずである。
ここでの己の気とは、合気道に於いての武道の気に、この日常状態の気が加わったものであるが、特に、武道の気と考えるのがいいだろう。

稽古で気を感じ、気をつかって技をつかうのは、私の経験からも難しいはずである。気が自覚できないのである。そして、気を自覚できないから、気がつかえないことになる。故に、まず、気を自覚しなければならない。
難しそうだからと逃げない事である。逃げたらそれでお終い。難しいと言っても、自分が身体に持っているものだし、働いていてくれているのである。只、自覚できないだけの話なのである。

気の感覚を掴む方法がある。例えば、それはウナギ掴みである。ウナギでもドジョウでもいいが、上手く掴むためには握力や腕力の力ではなく、気ということになる。この感覚で、技を掛ける際に相手の手を掴んだり、剣を持てば気でやることになり、その気が自覚できるはずである。

ウナギ掴みの感覚で気を出し、つかうことができるが、気を出すもう一つの方法がある。
初心者の手はしっかりと伸びてつかわれていない。歪んだり、曲がったり、折れたりしているわけで、気が通っていないということになる。これでは技は効かないことになるから、気を通したしっかりした手をつくらなければならない。それではどうすれば折れ曲がらない、しっかりした手ができるかというと、イクムスビの息づかいである。イーで息を吐いて手を伸ばし、クーと息を引いてその手を更に伸ばし、そしてムーで息を吐いてその手を更に伸ばすのである。切れ味のいい名刀のような手ができるはずである。尚、クーで息を引く際は手の平を思い切り開き・拡げるが、手の平が開くと同時に、体全体が拡がり、膨らむ。気が体中に充満した感覚になり、気が感じられるはずである。尚、このイクムスビを息でやっているが、その内に、息の代わりに気で出来るようになるようである。

これが己の気であるが、次に天の気、宇宙の気である。
上記で書いたように、技を生み出すためには、この己の気を宇宙の気に合気するわけである。それではどうすれば己の気を宇宙の気に合気できるかということになる。
それを大先生は,「これは皇祖皇宗のご遺訓たるところのフトマニ古事記によって、技を生み出していかなければなりません。(武産合気P.77)」「フトマニの神意を体得して技を生み出していくのである。(武産合気P.81)」と教えておられるのである。
布斗麻邇御霊は宇宙の営みの形象であり、気の運化である。故に、己の気を布斗麻邇御霊の形象に則ってつかっていけば、己の気と宇宙の気が合気し、技が生まれるという事なのである。