【第812回】 二度開く

これまで上手くいかなかった事や出来なかった事が、大先生の教えや宇宙の教えによって上手く出来るようになってきた。
半世紀も稽古をしているので、ある程度の技はつかえるわけだが、まだ、どうしても出来ないモノがあった。出来ないというのは、自分で納得できないということである。勿論、相手が初心者だったり、力が弱ければ倒すことは出来るが、これは相手が力不足なだけであり、相手の力に依存してしまう事になる。考えるに、自分と相手の力が、6対4か7対3以上でないと上手くいかないし、5対5や場合によっては6対4でも、力のぶつかり合いのガチンコ勝負稽古になる危険性があるようだ。

力のぶつかり合いを避けるためには、誰に対しても6,7,8,9と力をつけていくことも出来るが、もう一つ、力の質を変えることである。相手の魄の力と質の違う気や魂の力をつかうのである。異質のもの同士では勝負にも競争にもならないからである。柔道と走り高跳びは競えないだろう。

話しを戻す。大先生の教えや宇宙の教えによって、これまで出来なかったことが上手く出来るようになってきたことである。その典型的なモノが諸手取呼吸法である。これまで手と足を陰陽につかい、腹を十字に返し、息をイクムスビで力いっぱいやったが、力や体力がある相手に一寸頑張られると、どうしても上手くいかなかったのである。勿論、大概は倒せるのだが、それは相手の力が弱かったせいであると思うので、納得できていなかったのである。

そしてようやく自分が納得できる技がつかえ、これまで上手くいかなかった相手も倒れるようになってきたのである。納得できる理由は、相手が倒れることは勿論、宇宙の教えに則っていると思うからである。そしてこの法則に従って体をつかえば、誰にでもこれまでと違った力が出せると思うからである。
誰にでも出来るということは、やることは単純である。これによっても、宇宙の法則はそう複雑ではないことが推察される。
それでは、諸手取呼吸法で、これまでやってきたことに何を加え、どうすればいいのかということになる。
それは、体を二度開くことである。一度目は、手、手の平を開くのである。これまでは、手を相手に向けて縦(手先の方向)に出し、相手に手首を掴ませ、その手をそのまま振り上げるわけだが、相手がここで力一杯押えてくれば、手は上がらないか、上がっても相当な力をつかうことになる。
そこで、縦に出した手を、相手は掴んだら今度は、手首から先の手先を横に思い切り開くのである。手先の力が縦から横に拡がり、すると自然とその横の力が縦に流れ手(手先から肩まで)がしっかりし(気で満ちる)、同時に相手の力が減じ、そして相手は浮き上がってくるようになるのである。
この理合いの宇宙の教えは、伊邪那岐神の御霊の、伊邪那美神の御霊によるである。従って、息づかいが重要であるが、取り敢えずは、まず、手先を横に開く(拡げる)からやってみればいいだろう。気は十字から生まれるといわれるから、この十字から気が産みだされているわけである。

次の開きは胸である。手先から縦に流れてくる力(気)が胸に上がってくる。今度は息を引くことになるから、胸を横に開く(拡げる)。この理合いは、宇宙の教えのである。引く息は火であり、そして十字からの気も生まれ、強力な力がでることにあるわけである。

実はもう一つ開くところがあるようだ。それはであるが、体の頭であるか、天であるか、今、研究中である。しかし、或る事は確かである。ここを開かないと、技が収まらない。例えば、諸手取呼吸法で最後に相手を倒そうとしても、自分の手が相手の首や肩などにぶつかって、自分の力が戻ってきたり、反撃されてしまうはずである。手先と胸を開いただけでは不十分で、もうひとつ開く必要があるのである。

自分が手と胸を開いて諸手取呼吸法が一歩前進すると、苦労している後輩達の技づかいがよく見えるようになる。そして手先と胸を横に開かなければならない事を実感するようになる。上からは見えるが、下から上は見えにくいということであろう。

この手先と胸の二度開きは諸手取呼吸法の専売特許ではない。すべての技(一教、入身投げ等々)でも通用するし、やらなければならない。例えば、肩取り、胸取り、肘や手のどの部分でも掴ませ技はこれをつかわなければ上手くいかないはずである。
また、合気道の技だけでなく、剣の素ぶりもこれでやるのがいいようだ。