【第811回】 健康と日常が一番

昔から健康第一と唱えていたが、今思えば、それは空念仏だったことを思い知らされる。
一寸前に体調を崩した。結構酷かった。18時間床に就いた。トイレに行くために起き上がろうとして、寝床の上で身を起こすのに三十分、そこから立ち上がるのに1時間、それからトイレまで30分ほど掛かった。
このような状態の為、道場稽古も休んだ。体調不調で稽古を休んだのは5年ぶりである。

頭はくらくらし、体はよたよたと思うように動けないのである。頭も体もくらくら、よたよたしているが、有難いことに、頭は通常通り働いている。その頭が、このくらくら、よたよたは何かに似ていないか、以前に経験していないかという。そう言われれば、確かに以前によく経験をした事に似ている。
それは、酒を飲み過ぎて酔っぱらった時の状態である。酔っぱらって、頭がくらくら、体がよたよたと、体の自由が効かず、思うように動けない事である。
しかし、酒を飲んでふらふらするのは自然で、不思議でも心配でもないが、この度は、酒を飲まずにふらふらするのだから問題なわけである。だから、それは病である。

稽古が出来るようになるまで2週間ほどかかった。この2週間は結構きつかった。普通なら入院して一か月はかかったはずである。つまり、医者に行って診せたとしたら、そうなったはずと思ったのである。何故、医者に行かなかったかと云うと、自分の体の最終責任者は自分自身であるから、自分の体に対しても、出来るだけの事はしたいと思っている。医者は最終責任までは取ってくれないし、取ることは出来ない事もわかっているからである。

2週間ばかりの短期間であったが、大事な事を得る事が出来た。前出しの健康の大事さを改めて、そしてつくづくと実感したことである。健康でなければ、自由に動くことも、やりたい事も出来ないという事が改めて分かったのでる。健康第一を心から実感したのである。
健康と言っても、特別に、健康優良児とか、人が羨むような健康などを意味しているわけではない。普通の健康である。日常生活が出来ればいい健康である。
そう、健康に加えて、日常の有難さも分かった。日常の健康、日常生活ができる健康の日常の有難さである。別に目新しい事がなくともいい、平凡でもいい。健康でそして、平穏な日々であればいい。

周りを見ても、日常の有難さが再認識されている。例えば、コロナウィルス感染により、外出が制限されたり、外国旅行が禁止されたり、好きなイベントが中止になったり、飲み屋に集まってお酒が飲めない等々、これまで普通にできたことが出来ない非日常になってしまった事である。
また、最近は大水や地震や津波などの災害により、日常が壊される事が多いようだ。日常の有難さをつくづくと思い知らされる。
健康と日常第一である。健康と日常に感謝々々。