【第811回】 見取り稽古で上達

合気道の稽古をしている者は上達しようと稽古をしている。初めは先生や指導者に教わった型を覚え、体をつかおうとする。それが少しできてくると、相対の相手にその形・型(通常、技というが、この段階では技になっていないので型とする)を掛けたり、受けを取って、教わったことを身につけていく。そして、この型で相手を投げよう、抑えようとするようになる。稽古相手を上手く投げられ、決める事ができればよしとなり、それが上達だと思うようになる。この期間は長いし、中にはこれで終わってしまう人もいるようだ。

しかし、その内、段々自分のつかう“技“(実際は型)が効かないことに気がつく。上級者だけではなく、後進の白帯にでも一寸力を入れて抑えられたり、打たれれば動けなくなり、”技“にならないのである。これは当然なことである。”型“で人を倒したり、極める事など出来ないからである。この段階では、”型“と”技”の違いが分からないし、“技”とは何かを知らないのである。

ここから“技”をつかわなければならないと思うようになるはずである。しかし、どうすればいいのかは分からないのである。
そこで又、先生や指導者の説明を聞いたり、動きを見て技を見つけ、己の型に組み込んでいくことになる。また、相対の稽古相手の受けを取りながら、相手の技を見つけ、取り入れていく事になる。相手が上手い技をつかったなら、それを今度は自分でつかってみるのである。特に、先輩や高段者と稽古する場合は、いい技を見つけることが多いはずである。

しかし、高段者と一緒に稽古をし、受け身で技を“盗もう”としても、受けることで精いっぱいで、そのような余裕はないものである。技を掛ける高段者側は、自分の技を練る事で、寸部の時間的、空間的な余白はないはずなので、受け身側は、何をどのようにされたのかなど分からず、必死に受けを取らなければならないからである。
また、時として、仏心を起こし、受けの相手を受けで導いてやるのだが、相手はそれに気がつかなかったり、見えないようである。こうなると、武道の鉄則である、相手から技を盗むことは難しくなる。

この問題を解決する方法が一つある。武道や習い事は、真似ることから始めなければならないわけだから、真似しようと思う“技“をじっくり見る事が出来なくてはならない。相対稽古では難しいことは先述の通りであるし、先生や指導者は、無限にあるはずの”技“をすべて示すことは出来ない。故に、個々人で探さなければならないことになる。

その問題解決法とは、三人で組んでする時の見取りである。道場稽古は、通常、二人一組で稽古するが、時として三人でやる場合もある。普通は、三人でやれば、時間内での技の掛け合いの稽古回数が少なくなるので、どちらかというとネガティブ(出来れば避けたい)に捉えられるはずである。
しかし、ここではこの三人稽古が大事な稽古になるという事である。
三人で稽古する場合、一人は二人の稽古をじっくりと間近で見ることになる。更に、自分も一緒にやるモノを見ているのだから、よく見るはずである。両人の体の動き、手足のつかい方、そして技を見つけやすいのである。そして、その今見た技を、自分の番ですぐ試すことができるのである。

この三人稽古での見取り稽古の習慣がつけば、他の人たちの稽古を見ても、合気道の演武会でも、他の武道や武術、また、踊りや舞い等の芸能を見ても、見取り稽古になると思う。