【第809回】 無理しない、らくしない

前回書いたように、体調を崩して稽古を休んだ。しかし、休んだことでいろいろ考えることが出来た。やはり、合気道で学んだ通りに、悪い事があればいい事もある。すべてに陰陽両面があることをこれでも再認識した。

これまでなら体調が多少悪くても、稽古にいっただろうし、稽古で体調を回復したものである。だから、多少の体調不良で稽古に行かない事は、自分の弱さであり、恥であると思っていた。
しかし、今回は稽古に行かずに休んで体を直した方がいいと思ったし、そうすべきだと思った。そして、それが正解だった。これまでのように、恥もなければ、無念さもない。
そして今回の事で、これからどのような稽古をしていくべきかを整理してみることも出来た。

今年四月に傘寿(80歳)になったわけだが、これまでのような稽古を出来ないことは自覚している。体調を崩せば、それで終わるか、回復するにも時間が掛かるようになるから、体をこれまで以上に大事に扱わなければならない。
しかし、稽古・修業を続ける目的は、上達すること、精進することであるから、上達、精進がなければ意味がない。上達、精進とは、合気道が目指す、宇宙との一体化に近づくことである。

合気道の稽古・修業で目指しているゴールの宇宙との一体化に達するには時間が掛かるはずである。というより、時間を掛ければ掛けるほど、そのゴールに近づくと考える。稽古、修業の時間が少しでも多くなければならないことになる。その為には、健康な体が必要だから、体を健康に保たなければならない事になる。
体を健康に保つためには、無理をしないということになる。無理して、体を壊し、体調を崩せば稽古は出来なくなるし、ゴールへの到達も出来なくなる。
宇宙との一体化をするためにも、無理はしない方がいいということである。

私の敬愛する有川定輝先生でさえ晩年、「今まで頑張りすぎた!・・・これからは自分を考えて少しゆっくりいく・・・」と言われた。有川先生は立場上でも、無理をせざるを得なかったと思うが、私の場合は、人に教えるわけではなく、自分だけの問題なので、無理しない事は容易にできるはずである。

但し、無理しないということは楽をするということではない。この両方やってしまえば、合気道の陰陽表裏一体の理に反してしまう。それ故、楽するのではなく、厳しくするということになるだろう。己に厳しくするのである。無理しないと己に甘えるのではなく、修業の目標到達のために己を厳しく制することである。これで、“無理しない/厳しくする”の陰陽表裏一体となる。
これが高齢者としてのこれからの稽古であると考える次第である。


参考文献 「有川定輝先生追悼記念誌」(七大学学生合気道連合会・七大学OB会)