【第809回】 合気の技と理合いで剣をつかう

「第807回 剣の手で手をつかう」で、合気道の技は剣の理合いでの剣の手でつかわなければならないと書いた。剣の手で合気の技をつかえば、大きな力も出るし、技も決まり易くなることは確かである。合気道の技を精進するためのも、剣も上手くつかえるようにする必要があることになる。

合気道の稽古人は、必ず一度は剣に興味を持ち、剣に触れたり、振ったりするが、無意識のうちに、剣から何かを学べるのではないかと思ってのことだと思う。
しかし、剣に触れた人の大部分は、その後、剣から遠ざかっていくようである。

剣が上手く振れれば振れるほど、合気の技も上達するはずである。しかし、問題は、剣をどのように振ったり、使えばいいのかがよく分からない事であろう。合気道では剣の振り方、つかい方は教えないし、剣道のように打ち合う事もないし、そして剣の振り方やつかい方の良し悪しも分からないはずなので、剣をどのように振ればいいのか分からないのである。

私自身も過っては、振り方も分からなかったわけだが、只、力一杯振っていた。毎日、1000回、約20分ほど振りながら、手首の締め、腹と手先を結ぶ、腰腹で振る等々を身につけていた。今思えば、本当の満足感は得られなかったと思う。何かが欠けていたのである。
しかし、その欠けたモノが何であり、どうすればいいのかにようやく気付いたのである。

それは、合気の理合いと技づかいで剣をつかえばいいという事である。
剣の手で合気の技づかいができるようになったら、今度は、その合気の技づかいで剣をつかうのである。
先ずは、合気道の基本の理合いである陰陽十字で体をつかうことである。左右の足に体重を陰陽に規則的に懸け、そして腰を十字に返す。手は腹、足の後に動かす。息は吐いて、吸って、吐くのイクムスビや阿吽の呼吸、更に、布斗麻邇御霊の息づかいに合わせて剣をつかうのである。
次に、合気道の技(形)で剣をつかうのである。一教、二教、三教、四教、五教等の抑え技、入身投げ、呼吸法や呼吸投げ等を剣でやるのである。特に、一教や呼吸法は剣でやると分かり易い。
これらの基本の技が剣で振れるようになれば、他の技や応用技でも振れるようになるはずである。
大先生の剣は、この合気道の技と理合いに則ってつかわれた剣だったはずである。故に、剣道家も魅了され、教わりにきたものと考える。
また、大先生は、「合気道は武道のもと」と云われ、いかなる武道家も身につけるべきだと云われておられたのは、この為だろう。

それでは何故、合気の理合いと、剣の理合いが一致するのかという事になる。
合気道をやるために剣をやれ、そして剣をやるために合気道をやれということであるが、そこには合気道と剣に共通の理合いがあるはずである。それは究極の共通の理合いであるはずである。合気道でも剣道でも、追求している究極のモノである。
合気道の場合は、宇宙との一体化、宇宙とひとつになることであるが、恐らく、究極の剣道家の目標も、この合気道と同じ、宇宙とひとつになることではないかと思う。
そして、この目標に到達するための方法、理合いが、合気道でのフトマニ古事記であり、布斗麻邇御霊の気の運化に神習うことであると考える。恐らく、剣道や他の武道でも無意識のうちにこれをやろうとしているのではないかと思う。